JIJI.COMの記事から抜粋 確かにインパクトの強い写真です 。
なぜかフィリピンの地震の記事が多く取り上げられている日本です。
フィリピン現地からの映像を何度もテレビで見ています。
ショッピングセンターの屋根が壊れた映像や、大きな悲鳴をあげて室外に飛び出す人々の映像などなど。
その映像からは地震にたいする恐怖心が滲み出ていますね。
テレビ的には視聴者の関心を呼び起こすに良い映像なんでしょうね。
フィリピンでは地震直後一斉にみなさん部屋の外に出ます。
日本とは逆ですね。
もちろん、日本のような防災教育がないことも原因です。
地震直後家屋外に出るのは、建物の頑丈性が原因なのです。
フィリピンの家やマンションの品質はとても悪いです。
びっくりするくらいです。
日本人の青木さん達からしたら、「あっ、ちよっと大きいな。」くらいの揺れらしかったです。
しかし、当時住んでいたマンションの被害は甚大で、2週間近くエレベーターと水が止まりました。
マンションの外壁と室内には亀裂が入りました。
その修復までには3ヶ月程度かかったらしいです。
あの程度でこんなにも被害があることに、フィリピンの建物は外見は立派だけれど、中身の品質はかなり悪いなと感じたそうです。
「お金があっても、フィリピンでマンションの購入は怖くてできないな。」と言っていました。
今回の記事はそんなことではなくて、あまりにも、フィリピンのニュースが多くそして長く流れたせいで、たくさんの人たちがフィリピンを認識してくださったのです。
その中には、青木さんたちが以前支援し社会に戻って行った人たち、そしてそのご家族もいたのです。
この団体はパンデミック後から支援を中断していました。
パンデミック明け以降は、シャルガオ島での支援活動の準備に全力を傾けていた為、新規の支援は4年近く行われていませんでした。
以前は支援の問い合わせの電話やメールで忙しかった事務所もこの4年間は静かだったらしいです。
それが連日のフィリピンを取りあげる記事で、たくさんの人たちから安否を気遣う問い合わせをいただいました。
お孫さんができた方。
支援した方が家庭を持ち、生まれたお子さんが思春期に差し掛かり子育てに手を焼いている方。
家族で海外への移住を準備しておられる方。(フィリピンで支援を受けられたのですが、移住候補は違う国だそうです。)
などなど。
電話の応対に出たスタッフは、その方達のことを思い出すのに時間がかかったらしいです。
それはそうでしょう。
35年間で1000人近くの人たちの支援をしてきた団体ですから。
たくさんの問い合わせがあったという報告を聞いた青木さんは泣いていました。
僕も泣いてしまいました。
たくさんの人たちが応援してくれているのですよ。
負けちゃいけないです。
あともう一息です。
まだあなたのことを必要としている人たちがいるのですから。
みなさん、本当にありがとうございます。
あなたたちは素晴らしい人たちだ!!
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