発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

支援プログラムが段々と難しくなっていく エイジ

2015年と書いてありました。

 

私は身の回りを清潔にしていませんでした。

風呂に入っても体をちゃんと洗っていませんでした。

「風呂に入ることと、体を丁寧に洗うことは別のことです。」と青木さんは言いました。

 

 

同じ服を何日も着ていました。

中高は制服でした。

大学では毎日服を着替えていました。

30年間、誰とも会わない生活を送っていたら、いつの間にか服を着替えることもしなくなったのです。

 

 

ひきこもりから回復してからも数年は着替えることをしませんでした。

回復といっても、家から出た程度ですよ。

家から出て、すぐに体力を回復する為のプログラムをしたりとか、就労支援プログラムをしたわけではありません。

 

 

団体の事務所に行って簡単な作業をして、青木さんやスタッフさんたちから話を聞いて、家に帰る程度のことを2、3年していた様な気がします。

今思えば、すごく気遣ってくれていたのですよ。

30年間もひきこもった人の支援なんて、とても丁寧に扱わないといけなかったんだと思います。

 

 

それで、5年目くらいから、単発の仕事をするようになりました。

嬉しかったですよ。

 

 

お金をもらえることは、認められたということですから。

まあ、青木さんの団体を支援している人たちから頂く仕事だとは知っていましたが、それでも仕事が終わってお茶なんかを出してくださるのです。

「焦らなくていいからね。応援する人たちがいるんだよ。」と言われた言葉を今でも覚えています。

 

 

雪が降る中の駐車場の掃除はとても大変でした。

オーナーのお婆さんが、ホッカイロをたくさん私に渡してくれました。

「ありがとね。助かります。」と頭を下げてくれました。

 

 

30年間、何もしてこなかった私です。

そんな私に対して、「ありがとう。」や「助かります。」という言葉はとても大きな励ましになりました。

 

 

そんな単発アルバイトですが、今から思えば、段々と大変な仕事に変わっていきました。

最初は、青木さんの運転する車で送り迎えしてくれていましたが、最後の方は、アルバイト先の最寄りの駅と運賃と仕事内容と時間が書かれた紙を渡されて自分で行くようになっていました。

 

 

アルバイトをするということは、団体のスタッフ以外の人たちと会うということです。

その頃に青木さんと一緒に風呂にいきました。

スーパー銭湯です。

そこで、体の洗い方を教えてもらいました。

とても感じの良い銭湯で楽しかったです。

 

 

気づけば、何十回も足を運びそのたびごとに青木さんからのレクチャーがありました。

「服も毎日着替えなさい。」

「夏場になると汗をかくので、着替えの服も持参する様に。」と言われました。

 

こうして私は毎日服を着替える習慣が身につきました。

お風呂に入り、体を丁寧に洗うこともできるようになりました。

 

 

そして、今はもう1段階、難しい練習をしています。

 

 

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