発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

雇ってもらえないなら、自分で仕事を作るしかない!! エイジ

ボランテイアをしました。後で写真を見たら笑顔がなかったです。次回は笑顔で。

 

 

要は自分の飯は自分で稼ぐということなんです。

父親はなくなりました。

母親だってそんなに長くは生きられないと思います。

 

 

もうすでに色々なことができなくなっています。

もちろん私の世話を長年してくれましたが、もうそれもできません。

 

 

私は自立しないといけないのです。

でもどうやって?

 

 

私はこの団体に10年近くお世話になっています。

その間に、様々な就労支援を受けてきました。

しかし、どれもこれも長続きしませんでした。

 

 

30年近く何もしてこなかったつけが、はっきりと目の前に突きつけられた感じでした。

日本ではまともに働けない。

そして、私は障害を持っていることで、色々と肩身の狭い思いをしてきました。

 

 

 

それは私の頑張りだけではどうすることもできません。

 

 

それで試しに行ったフィリピンでとても楽な気持ちになれたので、私はフィリピンでやり直せないかと色々と探っていたのです。

確かに、不登校だった少年がフィリピンで変わった光景を見てきました。

 

 

長年ひきこもっていた人が、前向きになり、再び社会に戻っていった現実も見てきました。

 

 

良いことばかりではなく、志なかばで不安が強くなって、日本にやむなく帰国して行った青年も知っています。

 

 

しかし、多くは人生に前向きになっていったのです。

だから私もそのようにできるはずだと勘違いしたのです。

 

 

日本でダメな私は、フィリピンでもダメだったのです。

〈何をやってもダメな俺。〉とヒロさんは自分のことをこき下ろしていました。

私自身がそうなのです。

いや、彼よりも程度の悪い状況でした。

(実際ヒロさんは、私と違って、自分の人生を成功へと導いていったのです。)

 

 

どこも私を雇ってくれないという現実をしっかりと受け止めなければなりません。

 

 

で、どうするんだ!!

自分で色々と考えても良い知恵など思い浮かびません。

 

 

青木さんがアドバイスをくれました。

「自分で小さなビジネスを作ってやってみれば良い。

1人では無理でも、誰かの助けを借りればできるかもしれない。

リスクも伴うけれど、あなたの好きなことわざに従ってやってみれば良い。」

 

 

 

〈座して死を待つより、出て活路を見出さん。〉

 

 

1ヶ月間近く、自分で小さなビジネスを起こすことを考えていました。

そして、やることを決めたのです。

 

 

これから私の小さな挑戦が始まります。

皆様、どうぞ私の挑戦にご一緒してもらえないでしょうか?

 

 

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