発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

母からの自立 エイジ

シャルガオに太陽が!!

 

 

 

私の近況報告をいたします。

結論から言いますと、私はシャルガオ島に家を建てて生活していきます。

 

 

私の母親と兄弟と青木さんと私で話し合いました。

母は80代半ばで、準備が整い次第、特別養護老人ホームに入居します。

今まで住んでいた家も処分しないといけません。

 

 

そうなりますと、私の居場所は日本になくなることになります。

今まで私の世話をしてくれていた母から私は完全に独立しないといけません。

と言いましても、1人で自立した生活を送れるまでにはなっていないのです。

 

 

ですから、こんな私の世話をしてくれる人を青木さんは探してくれました。

すでにその方に身の回りの世話をしてもらっています。

とても優しくて気の効く方です。

 

 

 

その方に毎日お世話をしてもらいながら、色々と教えてもらっています。

もちろん、わたしもこの団体で色々と練習をしてきましたからある程度のことはできます。

 

 

さらに成長するためには、まだまだ学ぶべきことはたくさんあるのです。

 

 

 

昨年は散々な年でした。

パンデミック明け後に、日本からフィリピンに移ったのです。

しかし、体力が落ちていまして、歩くことさえ困難な状況でした。

 

 

 

 

当初の予定では、すぐに仕事の練習に入ることになっていました。

しかし実際は、6ヶ月間毎日体力作りに励んでいたのです。

それはとても辛い日々でした。

いつまでに終了というのが見えなかったからです。

 

 

 

そのことをスタッフさんに伝えましたら、途中から体重計で体重を測ることになりました。

毎日にしてみますと、減る量はわずかですが、私には大きな励みになりました。

そして6ヶ月後には曲がっていた背中が完全ではないですが、普通に近くなっていました。

 

 

 

また以前から、指摘されていた声が小さいというのも違和感なく話せるまでになりました。

 

 

しかし・・・。

大きなミスをしてしまい、スタッフの方達に迷惑をかけてしまったのです。

さらに、倒れて救急病棟に入院。

数日で退院となりましたが、食堂オープンに向けて大変忙しくしているスタッフをさらに忙しくしてしまったのです。

 

 

 

張り詰めていた心が、折れてしまいました。

もう日本に帰るしかないと自分で判断し青木さんに伝えました。

青木さんは私の話に耳を傾けてこう言ってくれました。

 

 

「失敗は誰にでもあるよ。失敗のまま諦めるのか、失敗からさらに成長するか。どちらを選択するかだよ。私たちは引き続き支援をしていくから、一緒に頑張りませんか。」と言ってくれたのです。

 

 

 

ありがたい言葉でした。

こんなに失敗してもまだ大丈夫なのか?

 

 

ここまで応援してくれるなら、やるしかない。

「やります。よろしくお願いします。」と青木さんにはっきりと言いました。

 

 

情けない奴だとお思いでしょうが、どうか応援をお願いします。

シャルガオ島の天候も回復しそうな今日この頃です。

 

 

 

〈程度の悪いアスペな私〉ですが、がんばります。

 

 

 

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