発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

25年間ひきこもっていた人も変わりましたよ。 ロイダ

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不安が強くても、外国で小学生となら大丈夫でしょ。右私です。

 

 

私はフィリピン人スタッフのロイダと言います。

日本語はうまくないです。

ごめんなさい。

 

 

でも青木さんが英語と日本語混じっていいのでブログを書きなさいと言いましたので、書きます。

 

 

翻訳はヒロさんです。

日本語おかしいところは、ヒロさんのせいです。

長いことフィリピンにいるので、日本語忘れたと言っています。

 

 

私の担当はMr. Joeです。

そのMr.Joeがフィリピンに来て5ヶ月間になります。

彼の日常生活は写真を見ていただければわかってもらえると思います。

 

 

私は昔のMr.Joeのことはよく知りません。

でも青木さんから、フィリピンに彼が来る前から色々と情報は聞いていました。

 

 

25年間家族以外の人とほとんど交流がない人。

状況が大変な人です。

 

 

でも私はもっと大変な人たちも支援してきましたので、そんなに心配はしていませんでした。

 

 

彼が来る前にたくさんの時間を青木さんと一緒にミーティングをしました。

 

 

それでどういうふうに支援をしていくのかがわかっていましたから。

 

 

でも、心配することは何もなかったです。

フィリピンに来てから彼は変わりました。

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Mr.Joeは本当に楽しいって言ってますよ。私はあまり楽しくないですけど。

 

 

毎日、毎日、途切れることなくプログラムを消化していきました。

気持ちが顔に出る人でしたので、理解もしやすかったです。

 

 

それどころか、私たち支援者から休憩日を作らなきゃいけないくらいでした。

「休みの日がもったいないので、毎日動きたい。」

 

 

どうして25年間も人と一緒しなかったのかと聞きました。

でもMr.JOEは笑っているだけで、何も答えません。

 

 

ある時、突然私たちに言いました。

「一緒にやろうと声をかけてくれる人が必要だったんだ。」

「私たちと一緒にやってどうですか?」

 

 

 

「みなさんは僕のペースに合わせてくれているでしょ。僕のことを理解しようとしてくれているからそれがいいです。」

そう言いました。

 

 

今も彼は一生懸命毎日プログラムに励んでいます。

英語やタガログ語を話せるようになりたい。

フィリピンの小学校の先生になりたい。

 

 

「そのためには大学を出ないとダメですよ。」

そう言いましたら、今は大学のことを考えています。

 

 

 

もっと早くフィリピンにくればよかった。

時間を無駄にしてしまった。

もっともっといろいろなことをしたいのでどうぞよろしくお願いします。

 

 

Mr.Joe と名前を変えてからの彼はもう一段ギアを入れたかのように加速しています。

 

 

彼の変わりようが信じられないですか?

 

 

はい、いつも寄り添っている私が一番信じられません!!

人は変わりますよ。

みんな変わりたいと思っています。

 

 

でも、どうやって?自分1人で?

みんなから随分離されてしまったからもうダメだな。

もう40歳になるし何もないからダメだ。

 

 

いいえ、ダメじゃないですよ。

サポートセンター名古屋には年を取った人たちもいます。

でもみんな希望を持っていますから。

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私たちと一緒にやりませんか!!

もう一度。

 

 

大丈夫私がいるからね!!

アッハッハッハッハ。

 

 

 

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