発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

当事者の僕が語る発達障害あれこれ。自己紹介 テル

 

どうも初めまして、テルと言います。

年齢は26歳です。

学校は、中学2年から不登校で、通信制高校を出ています。

その後、ひきこもりました。

 

 

 

僕に対する支援は2年間で終了しています。

今は、何か困ったことがあったら、青木さんたちスタッフに相談する程度です。

学校での学費振り込みや大学の教科選択も1人でやっています。

 

 

今は1人で生活できています。

 

 

僕は、中学の雰囲気に馴染めませんでした。

もともと、人見知りが激しかったですね。

今思うと、自信がなかったにつきます。

 

 

クラスのみんなと一緒の空間にいられなかったです。

何話して良いのかわからなかったので、とても不安でした。

 

 

 

いじめは別にありませんでした。

でも、友達もいませんでした。

 

 

友達は欲しかったけれど、作り方がわからなかったし、友達と何を話せば良いのか何もわからなかったので、1人でいる方が楽で、友達はいらないと自分で決めていましたね。

 

 

父親は、おとなしい人です。

母親も同じく大人しい人です。

中学の時に僕が学校にいけなくなったら、母親はいつも泣いていました。

 

 

「いじめられたの?勉強がわからないの?家庭教師に来てもらおうか?」そんなことを話す程度でした。

父親とは普段から、会話はありません。

 

 

父親は、休みの日には部屋に閉じこもり、クラッシック音楽を聞いていたり、読書をしていたりしていました。

1度だけ「学校に行かないなら、将来どうやってお金を稼ぐかを考えないといけないよ。」と言われました。

 

 

それだけです。

 

 

母親は色々なものにすがっていました。

突然、僕の部屋の場所が悪いとのことで、違う部屋に引っ越しをさせられました。

またある時には、着る服から、持ち物まで赤色に統一させられました。

食べ物にもこだわり始めて、色々なサプリメントを食べさせられました。

 

 

全て僕のことを心配した上でのことで、今ならわかります。

 

 

結局、同年齢の人たちが大学を出て、就職するという22歳の3月に僕は大きく暴れてしまったんです。

それで警察を呼ばれてしまって。

母親がぶっ倒れて田舎で静養する為に家を出ました。

その後、親戚のおじさんとおばさんが手伝いに来てくれた。

 

 

おじさんとおばさんが、「こんな団体があるから、最後だと思って話だけでも聞いてみな。」と青木さんの団体を勧めてきました。

 

 

おじさんたちには、お世話になっていたので、拒否はしなかった。

そしたら、青木さんからハガキがきた。

目を通して読んだけれど、特別な感情は何もなかった。

 

 

おじさんが、「青木さんが家に行って話を聞きたいと言っているけれど、良いかな。」と言われたが無言を通した。

 

 

それを拒否していないと受け取ったおじさんと青木さん。

青木さんが家に来たんだ。

 

 

 

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