発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

さあ、30年ひきこもったASDな男のチャレンジ再開!! 東大

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笑顔で!!と言われても何かに驚いたような表情になってしまった僕です

 

僕はコミニュケーションが取りづらい。

というか、自分で言うからいいと思うのですが、ほぼ取れないと言った方が良いだろう。

 

 

特に日本では生きていくことがとても困難だ。

日本に住む僕たち日本人は、みんな日本語を喋るんだ。

みんな義務教育を終えているから、計算ぐらいはできるんだ。

 

 

だって僕たちは日本人だから。

みんな同じなんだよ。

そう僕らは思っている。

 

 

もちろん障害者の人たちがいる。

見た目、障害者だとわかるなら問題ない。

みんな差別せず接するから。

 

 

見た目ではわからない障害を持っている人たちはきついだろうな。

「はあ?わけわからんな。」って言われるのが筋だ。

僕みたいにね。

 

 

日本から出て、海外で暮らしてみて、それがよくわかったんだ。

僕は日本では生きていけないっていうことがね。

 

 

もちろん僕はこの団体で支援を受けて、掃除、洗濯、家事全般ができるまでになった。

常に身体を清潔に保つことも。

いつも暗い色の服ばかり着ずに、少し明るめの服を着て印象をよくすることも。

 

 

だから1人暮らしができる自信はある。

しかし、青木は言った。

「日本に帰って1人暮らしをしたら半年程度で元の生活に逆戻りですよ。だって生活に張りがないでしょ?」

 

 

「・・・・」

無言な僕に青木はこう続けた。

「でも、家政婦サービスでも受ければ1人暮らしはできるよ。活用できるサービスを使えばいいんだよ。」と。

 

 

でも、僕は残りの生涯を日本で暮らしたくはない。

日本に帰っても、独りになるだけだから。

 

 

僕が求めていたのは、他者との交流だった。

フィリピンに来てそのことがわかった。

 

 

もちろん自分から積極的に他者との交流を探しにいくタイプではない。

でもそこそこ、交流が持ちたい。

 

 

そこで考えたのがゲストハウス。

ゲストハウスに来てくださるお客様との交流が持てるのです。

もちろん、こんな無愛想なホストでは、お客様は誰も来てくれはしません。

 

 

だから、僕のパートナーは僕とは違って、とてもフレンドリーな人なのです。

そして、そして。

 

 

みなさん、このゲストハウスには、あの青木もいるのです。

支援者として多くの人たちに生きる希望を与えた青木です。

常駐ではありませんが、月の半分ぐらいは居ます。

 

 

またまた、居酒屋も併設するつもりなのです。

そこは就労支援センターでもあるのです。

 

 

僕は日本では生きていけないけれど、海外なら生きていけます。

僕は1人では生きていけないけれど、パートナーと仲間たちが支えてくれたなら、幸せな生活が送れるのです。

 

 

来年の今頃、自分はどうなっているのだろうと想像します。

 

 

僕もエイジさんに負けずに頑張りますよ。

 

 

 

 

 

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