英語は好きでした。
ティラー・スゥイフトがとても好きで、その歌詞を暗記できるまで覚えました。
彼女の曲を聞いていると現実を忘れて、「私は大丈夫なんだ。」って感じることができたから。
ケイテイ・ペリーも大好きでしたね。
特に「roar」という曲は私の精神状態がボロボロで死んでしまいたいと思っていたときに良く聞いた曲でした。
私はこの曲を大音量でかけ、部屋で狂ったように踊っていました。
14、15の時でした。
でも音楽が鳴り止むと、虚しい現実が思い出されるのです。
フィリピンで生活すると決まった時、私は日本からはパスポートしか持っていきませんでした。
日本で感じた負の気持ちを再び感じないためにそうしたのです。
青木さんがそうしてみたらとアドバイスしてくれました。
名前も変えたい。
ケイコをケイテイにしました。
ちなみに母親の名前もミニーにしてしまいました。
お母さんその節はごめんなさい。
嫌な顔せずに付き合ってくれた私の母です。
日本ではみんなから拒否されていた私です。
だから、できるだけ日本語は忘れてしまいたいとも思っていました。
日本語ができるスタッフをつけてもらいましたが、私は一切日本語を話さないことにしました。
青木さんや、他のスタッフの人たちの時も全て英語にしてもらいました。
これも母には相当辛い思いをさせたと思います。
そしてフィリピンで学校に通うこと。
いくら、青木さんから、「日本とフィリピンとの学校の雰囲気は違う。
日本の様ないじめとか無視という様な状況はない。」と言われても、私の不安がなくなることはありませんでした。
これから入学する学校に下見に行きました。
学校はちょうどランチタイムにさしかかっていました。
生徒たちが、ホールや食堂に溢れていました。
その光景を見たとき、私の髪が逆立った様な感じがして手が震えたのです。
お母さんが、私の手をしっかりと握り「リラックス、リラックス」と何度も優しい声で話しかけてくれました。
その時に主任の先生がきてくれました。
先生は床に跪き、私を一段下から仰ぎ見るような姿勢をとってくれました。
「ケイコサン、コワイデスカ?」と話しかけてくれたのです。
私は変な日本語を聞いて少し落ち着きました。
「ゆっくり息を吸って、吐いて。ここはフィリピンですよ。誰もあなたを傷つけたりしないわ。私が保証します。全生徒、とてもみんな優しいのよ。」と先生が話しかけてくれました。
先生の後ろに1人の女子学生が立っていました。
それがメリーです。
メリーは不安そうな表情で私を見つめてくれていました。
メリーは学年代表の立場にあって、私に挨拶をしにきてくれたのです。
私の学校生活が始まります。
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