何度もお見苦しい写真をお見せしてすみません。
僕の親は僕が50代で亡くなっています。
僕が東大大学院で不登校となってしまって以来、母は30年近く僕の世話をしてくれました。
母が亡くなったタイミングが、僕がひきこもっている状態から一歩踏み出し、自立をするためにフィリピンに渡った2日目でした。
高齢とはいえ、元気でいた母です。
ひきこもっている僕のことを案じて、1日でも長く息子の為に生きなくてはと思っていてくれたのではないかと思っています。
そんな重荷から解き放たれて、母は天に帰ったのです。
長期ひきこもっている子どもを持つ親御さんとの面談の場に立ち会うことがあります。
子どもが50代になっても依然として先が見通せない状況。
そんな状況からなんとか脱したいとの両親の思い。
親なき後、子どもが苦しまないで生活できるように、せめて少しでもお金を残したおきたい。
そんな親御さんがほとんどでした。
私の親もまた、この様に悩んでいたのかと思うと、申し訳なく思ったのです。
親は子どもより早く亡くなります。
ひきこもっている子どもはどうなるのか?
親の後を追って自死したという話も聞いたことがあります。
私もそうなっていたかもしれません。
はっきりと言えるのは、唯一私を受け止め、励まし世話をし続けてくれた母が亡くなることで、部屋は荒れ放題、食事も満足にとらない日々になっていたでしょう。
失火や病気の恐れもあったと思います。
そうさせてはいけないのです。
長期ひきこもっている子どもをなんとかしないといけないのです。
でもどうやって?
私自身の経験で言えることがあります。
母親がわりをしてくれる人を探すのです。
50代になっても依然として社会に復帰できていない子どもの世話をしてくれる人を探すのです。
私はその相手を探しました。
私が探したのではなく、支援者たちが探してくれたのです。
彼女にはとても満足しています。
今、幸せです。
60年間生きて生きて、これといった幸せを感じなかった僕です。
もう1つ言いたいことがあります。
30年近くひきこもっていた僕です。
遠に、希望はついえてしまっていました。
「現状をなんとか変えたい。自分を変えたい。」
そんな思いが必要なのです。
私にとって、それは〈恋〉でした。
誰かを好きになると言う経験は、恥ずかしながら60歳近くになるまでありませんでした。
でも、支援を受け続けるうちに、少しずつ小さな自信が芽生えて、結婚したいという気持ちが芽生えたのです。
その思いは、僕を大きく変えたのです。
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