発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年ひきこもった人への支援日記 青木

f:id:smilehousejapan:20210704112211j:plain

 Aさん52歳でミッキーマウスのTシャツを着るのはやめましょう。

 

 

支援しているAさんは現在52歳。

Aさんの母親と私がボランティア関係で知り合いだったことから、相談を受けて支援が始まった。

 

 

 

支援は自宅に訪問することから始まった。

支援をお引き受けする前に、当事者のことをよく理解しなければならない。

しかし、Aさんのご両親は子どものことを良く理解していなかった。

 

 

 

大学1年の夏前に大学に行けなくなり、それ以来ひきこもってしまった。

同居している家族とも会話がない。

1日中、寝ているかゲームをしているか。

ゲームは高校の時に買ったものを30年間使っている。

 

 

その程度の情報しか得ることはできなかった。

手探りでの支援を余儀なくされた。

 

 

もちろん30年ひきこもっていた人が、すぐに外部からの訪問者に会うことはまずない。

たとえ事前に母親から、訪問に関しての話を聞いていたとしても。

 

 

 

3回目で訪問を中断した。

夜中に大きな声で叫んだりする様になったのは、私の訪問が原因だとしか考えられなかったから。

 

 

 

訪問を中断した後は、必然的にAさんの支援が考えられなくなった。

 

 

突然のAさんからの電話はその半年後になる。

深夜に私の携帯にかかってきた電話。

番号は〈非通知設定〉だった。

 

 

「もしもし」という私の声を遮るかの様に「あのう、僕はまだ大丈夫ですか?」との言葉。

 

 

誰だろう?

年齢は40代から50代。

訛りがひどいわけではない。

 

 

瞬時に関わっている人のことを思い巡らせた。

「大丈夫ですよ。あなたがやる気を見せてくれたなら、僕たちはあなたが回復できるまで決して諦めませんから。」

 

 

 

「会えますか?」

誰だ?誰だろう?

 

 

「私は今、フィリピンなんです。明後日には飛行機のチケットが取れますが・・・。セントレア空港からあなたのご自宅まで、電車を使えばどのくらいですか?最寄り駅はどこだったでしょうか。」

 

 

「◯◯駅です。そこから徒歩で・・・」

あっ、Aさんだ。

初めて聞くAさんの声です。

 

 

こうしてAさんへの支援が始まったのです。

 

 

ひきこもり30年。

アルバイト経験なし。

家庭での会話もない。

友達も30年ない。

 

 

その時には、これほどまでに大変な支援だとはわからなかった私たちです。

 

 

 

 

※日本ブログ村に参加しています。

 この記事が良かったと思われましたら
 下記の画像をクリックしてください。

 

 ご協力をお願いします。

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

 

 私たちの活動を応援してください。

100万人というひきこもっている人たちに希望を届けたいのです。

YouTubeを見ていただきましたら、

 

 

1、チャンネル登録をお願いします。

2、高評価ボタンがありますので、ここをクリックしてください。

↓ 動画の画面下ぐらいにこの高評価マークがあります。

f:id:smilehousejapan:20210129121446j:plain


 

3、感想、コメント、質問などをください。

スタッフ全員気が弱いですので、お叱りは違うメールアドレスにお送りください。

 

 

真ん中の白色の三角形をクックしてください。

自動で動画が始まります。

 

www.youtube.com