発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

講演会の依頼を頂きました。東大

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        支援している青年との会食。
 

 

講演会の依頼を頂きましたので、驚きと嬉しさを感じた僕です。

対象は小学校と中学校の教員です。

 

 

発達障害の僕が、30年間ひきこもったこと。

そんな僕が、どのようにして社会に戻れたのか。

そして、学校にどのような支援を希望するのか。

 

 

そんなことを話してくださいと言われています。

学校の先生に話をするということがとても嬉しいです。

きっと母親が生きていたら、一緒に喜んでくれるでしょうね。

 

 

この機会を大切にして、「聞いてよかった」と言われるように頑張ります。

 

 

それにしても、30年間部屋でじーっとしていた僕です。

50代を過ぎたら、いかにして早くその存在を消し去るかだけを考えて生きてきた僕です。

 

 

そんな僕が、誰かのお役に立てるということが、本当に嬉しいのです。

僕は、今はひきこもっていた人たちを支援しています。

 

 

先日も、この春で支援が終了する人と会食会をしました。

いろんな思い出を語ってくれた彼です。

今では彼女もいて、この4月からは正社員として出勤するのです。

 

 

支援は5年間続きました。

だから、僕と同じくらいに支援が始まった人です。

4年前からは、僕が担当したのです。

 

 

とにかく自信がない人でした。

いつも顔の前で両手をクロスして、顔を見られないようにしていた彼を思い出します。

 

 

そんなことが本当にあったのかと疑ってしまうほど、彼は変わったのです。

いろんなことがありました。

いろんなことが走馬灯のように浮かんできました。

 

 

嬉しい涙が頬を伝います。

おいしいチャーハンがしょっぱくなってしまいました。

横の青木を見ると、やっぱりしょぱくなったチャーハンを食べています。

 

 

歳をとると、涙と鼻水がセットで出るから嫌です。

青木がチーンと鼻を思いっきりかみます。

そんな青木を見て、お互い歳をとったのだと思いました。

 

 

 

青木に話しかけた僕です。

「70まで支援ができるとすると、あと10年少し時間が残されていますよね。

残り、どのくらいの人たちに寄り添えますかね。」

 

 

「100人は関われるな。100人の人たちが僕たちを待っているな。」

「病気になんかなっていられないよ。」と青木が言いました。

 

 

なんの意味をも持たないと思っていた僕の生。

自分の生存を、存在を、生誕を自ら否定していた僕。

 

そんな僕が、誰かを幸せにするお手伝いをしているんだ。

それだけで、僕はこの世に生を受けたことを心から喜ぼうと思うのです。

 

 

100人の人。

お会いできる日を楽しみにしていますよ。

 

 

僕はあなたの為に生きていきますから。

 

 

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