ニックネームが「東大」の大野隆と言います。
なんのひねりもない「東大」をそのままニックネームにされた事に、少し違和感を感じますがまあいいでしょう。
ところで私は、本日より「婚活日誌」を書く事にしました。
理由は3つあります。
1、同じ年齢で結婚を諦めている人たちへのエールになれれば良いかと思いました。
2、私は書く事で考えをまとめるタイプなので、ブログを書く事で自分の考えをまとめたいのです。
でも下記が一番の理由です。
3、婚活をみなさんに公にする事で、私自身簡単に諦めないような環境にしたいのです。
そしてもう1つ付け加えるならば、今支援をしている「50代男さんへのエール」でもあります。
「私も頑張るから、あなたも希望を捨てずに歩き続けてください。」とのエールです。
私が今、この時期にそう決心したのは、私自身の環境が変わったからです。
私はこの6月から就労に付いています。
まだ就労ビザは降りていませんが、実際に働いています。
その事で将来を少し見通せるようになりました。
それが婚活を決めた一番大きな理由です。
しかし、実際の私には色々と婚活をする上でハンデイがあります。
1、何と言っても経験が圧倒的に少ない。
2、年齢からくる体力的な不安。
3、子どもが欲しいのですが、子どもに対して責任が取れるのかという経済的な不安。
婚活を考えようと決心したのは最近です。
しかし、私を支援してくれていた青木は、会った当初から結婚の事を話題にしていました。
もちろん青木は策士ですから、ストレートに「結婚をどう考えているのか」なんていう話し方はしません。
さりげなく、結婚の話題を会話の中に織り込んでいましたね。
時間がたつにつれて、だんだんとはっきりと「結婚」の事を言ってきましたが。
最後には「私は私。あなたはあなたですよ!!」と強く否定的に青木に言ってしまったことがありました。
冷静になれば、こんなどうしようもない私に対して、今でも親代わりに思っていてくれているのは、青木1人です。
そんな思いを考えずに、ひどい事を言ってしまったと今は後悔しています。
今度会ったら、謝っておこうと思いました。
私も程度の悪いアスペルガーな男。
大学で他者とのコミニュケーションに不安を感じて、その不安がだんだん大きくなっていき、私を覆い尽くしてしまった。
そして、その不安から他者と会う事をこばむ事になり、30年という月日がたった。
6年前、私はフィリピンで人生をやり直す事を決めた。
フイリピン渡航前夜、母との最後の会食で母が私に言った。
「隆の事を好きになってくれる女性が現れてくれたら、母さん嬉しいよ。」
「母さんね、隆のお嫁さんを大切にするからね。一緒に買い物に行って、お嫁さんに服とか選んであげたいな。」
と嬉しそうに話す母。
「30年ひきこもっていたんだよ。結婚してくれる人なんかいないよ。」現実をなんら理解していない母の言動に少しイラついて突き放してしまった。
「大丈夫よ。希望を持っていれば、必ず相手は見つかるわよ。子どもを早く作りなさい。子どもは2人いた方がいいのよ。」
そう言ってくれた母はもうこの世にはいない。
私がフィリピンに旅立った2日後に天に召された。
私は、<大野隆>という人間の人生の主人公だ。
私の考えることが私の道になる。
天に召されるその日まで、与えられたこの時間を思いっきり楽しみたい。
婚活日誌始まります。
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