発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

未知との遭遇 東大

 

昨日の記事のことですが、僕は怒っているわけではないのです。

大学院で周りから色々と責められたりした時には、彼らに対して怒りを覚えたことはあります。

その怒りは消えることなく、30年近くひきこもりが終わるまで、持ち続けていました。

 

 

 

今は過去のことに対しての恨みなどは何もありません。

 

 

 

なぜならば、周りが僕に対して否定的だったのは、僕が原因だったからとわかったからです。

これは僕にとってはとても大きな出来事でした。

 

 

原因が僕の特性だということがわからなければ、いまだに過去のことに対しての怒りを持ち続けていたし、社会に対しても強い怒りを持っていたと思います。

それは、僕の心を頑なに閉ざすものでもあります。

 

 

逆に社会や他者ではなく、問題を自分の特性にあると理解したからこそ、現在は生きやすく感じているのだと思います。

 

 

ADHD ASDの中でも積極的に他人と関わりたいという人たちは、僕の様な特性よりは社会で受け入れられると思っていてます。

 

 

やはり大きな問題なのは、僕の様な特性の人たちの問題ではないかと思います。

 

 

支援に繋がることがとても難しいわけです。

他者にあまり関心を持たないので、他者と繋がるということがとても難しいのです。

 

 

他者の視線を気にしないので、見た目も気にしません。

同じ服やボロボロの靴を平気で使い続けたりする僕らです。

汗臭かったりして周りの人たちに迷惑をかけてしまう僕たちです。

 

 

指摘されても中々自分の事として捉えられないという特性です。

 

 

周りは僕のことを大変な人だなと思っていますが、僕は周りの人たちと同じ様には感じられないのです。

 

 

未知との遭遇という映画を昨晩紹介しました。

僕は自分と自分が所属する世界のことを考えた時、ふとこの映画のことを思い出したのです。

 

 

この映画のテーマは、コミニュケーションだと思います。

違う言語や違う思考体系を持つであろう者同士がいかにして、コミニュケーションを取り合うかというテーマ。

 

 

お互いに共通言語を探り合います。

人間はまだ見ぬ世界の住人に強い関心を抱きます。

ですから何んとかして、共通言語を探そうとするのです。

 

 

 ASDの特性で、他者に関心を持てないという僕らにも、ぜひ何とかして共通言語を探そうとする努力をとってもらえないでしょうか?

見た目は同じ人間なんですが、思考経路が違ったりして、全く理解することができないと思われている僕たちです。

 

 

研究者たちがいろいろな音程を通して、宇宙人とコンタクトをとろうとするシーンは何度見ても感動してしまいます。

 

 

🎵 〜 レ ミ ド ド ソ

 

 

 

未知との遭遇 ファイナルカット版/字幕【スティーブン・スピルバーグ監督】

 

www.youtube.com

 

 

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僕は宇宙人なのですか? 東大

 

 

10年間にわたって支援を受けてきました。

しかし、僕はADHDの特性を持つ人たちの様な変わり方をしませんでした。

彼らは、支援を受けて社会にそして学校に戻っていきました。

 

 

彼らは多くの選択肢を将来に見つけられるのです。

しかし、僕には限られた選択肢しかありません。

その違いは大きいのかもしれません。

ただ、僕はそんなふうには捉えられないのです。

 

 

それでは支援を受けても意味がなかったのか?

いいえ支援を受けてとても良かったと思っている僕です。

僕の何が問題なのかがわかったからです。

それがわかにらずにいれば、今でも混乱の中に僕はいたでしょう。

30年近くのひきこもり歴が40年になっていた。

 

 

 

そして失意の中で死んでいく。

そうならずに済んだだけでも支援を受けたことはとても大きかったと思います。

 

 

ADHDの特性を持つ人たちの様な変わり方に憧れたりしなかったのかと思われる方もいると思います。

正直僕の特性ではないですね。

そこが僕の特性たる所以なのです。

 

 

また、おいおい説明してきたいと思います。

とにかく、ADHDASDでは支援の手段も、その目標も違います。

残念ながら支援の現場において、混同しているケースも時々見られますよ。

もちろん専門家の人たちはそうではないですが・・・。

 

 

変われるのかそれとも変わることが難しいのか?

僕の部屋は汚部屋でした。

僕はゴミが捨てられないのです。

 

 

空き瓶、空き缶、包装に使われていたプラスチック、ダンボール箱・・・・

捨て時、替え時がわからないパンツ、靴下、靴などなど。

貯まるわ貯まる僕の部屋のゴミ。

 

 

布団は敷いたままだから、すでに朽ちていました。

畳に僕の体の跡が鮮明に転写されていました。

 

 

「世間の皆様、僕は発達障害だからご理解ください!!」

って支援を受けなかったなら、今でもそう言っていたかもしれないな。

 

 

練習に練習を兼ねて、それが僕の日常生活になるまでになったとき、汚部屋が普通の部屋になったのです。

何も足が欠損している人に、立ち上がって歩きなさいと言っているわけではないのです。

 

 

できること、できないこと。

それが何かを見つけていくことも支援を受けたらできるのです。

 

さて、僕はとても関心のある講演会を見つけましたよ。

本田先生の講演会です。

 

テーマは

発達障害、何がどこまで良くなる?」

視聴は有料ですが、僕は見ますよ。

 

 

僕の様な特性の人たちへの言及がされているのかどうか?

ADHDの人たちに対して、特別に言及する必要はないですよ先生。

すでに多くのことがもうわかっていることですから。

 

 

僕の様な特性の人たちはいまだに世間には理解されていないと思います。

僕たちは今でも宇宙人扱いなのですから。

 

未知との遭遇 ファイナルカット版/字幕【スティーブン・スピルバーグ監督】

 

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東京の夜の美しさよ。東大

 

 

フイリピンに戻り、2週間過ごしてまた3月7日日本に帰国しました。

帰国時に書くことがあったので、ブログを更新しようとしましたが、ドタバタしてしまい、書くタイミングを逸してしまいました。

 

 

まあ相変わらずの忙しさです。

いいえ、僕ではなく青木なんですけれど。

 

 

1人で全てのことをやっているわけでして。

「誰か雇ったりすればいいだけなのでは?」と簡単に思われる方が多いと思います。

しかし、信頼できるスタッフになかなか巡り会えないのがここフィリピンなのです。

とにかく騙そうと企む人たちが多いと感じるのは僕だけではないです。

 

 

だから青木が孤軍奮闘しているわけです。

 

 

 

フィリピンのレストランについては、波がありますが、多いときには満員御礼です。

 

 

一点問題があるのは、営業許可がまだ降りていないのです。

あり得ない話です。

ですから、現在はソフトオープニングとして営業しています。

朝から深夜までの営業の予定ですが、今は夜の3時間だけの開店です。

 

 

営業許可は6月らしいです。

なんとも、フィリピンらしいと言えばらしいですね。

世界で1番ビジネス環境が良くない国がフィリピンだと何かのテレビ番組で見た気がします。

 

 

そこで毎日頑張っているこの団体をどうか応援してください。

 

 

僕はといえば、日本でのアルバイト生活がそれなりに充実しています。

アルバイトが終わるのはいつも深夜の時間帯です。

その時間帯は、日中の喧騒とは違い、東京の街も静かな表情を僕に見せてくれます。

 

 

海沿いのコンビナートの淡い光、重なり合う高層マンションの常夜灯。

なんとも幻想的な光景です。

 

 

昼間は、電車が通過する音。

工事の音。

人々が話し合う声。

 

 

喧騒の中にいる僕です。

そんな時間帯と静かな東京の夜の対比が僕にはとても面白く映っています。

 

 

深夜バイト帰りに寄ったコンビニで買う、ビールとおつまみ。

500円でお釣りが来る程度の贅沢。

 

周りに誰もいないのを確認して、歩きながら小さな声で歌ったりします。

何を歌うかって?

カーペンターズとかかな。

 

変な話かもしれませんが、僕は生きているんだと感じる時間なのです。

 

 

それだけではとても寂しいのかもしれませんね。

またフィリピンに帰り、たくさんの仲間に囲まれて冗談を言い合う時間も僕には必要なのです。

 

 

取り留めのない話をしました。

 

 

これからこんな感じの文章でも書いていきます。

よろしくお願いします。

 

 

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ADHDの彼らとASDの僕 その② 東大





 

発達障害の大きな問題は、僕たちの様な他人に関心を持つことができない人たちが抱える問題ではないかと思うのです。

 

 

ADHDの特性を持つ人たちが抱える問題が、昔からよくクローズアップされていましたが、今は以前ほど取り上げられなくなった気がします。

 

 

どの様にすれば、ADHDの特性を持つ人たちが快適に暮らせるようになるかを支援の現場で考られています。

その成果が徐々に世の中に浸透して来ているのではないかと考えます。

 

以前は〈片づけられない人〉という言葉がよく飛び交っていましたが、今では工夫でなんとかなるというところまで来ていると思います。

僕も、全く片付けることができなかった人間ですが、片付けの決め事を守ることで、僕の部屋は汚部屋ではなくなりました。

 

 

ADHDが殊更に問題として取り上げられなくなる日もそんなに遠くはないと思います。

 

 

その一方、僕の様な特性を持つASDの人たちが抱える問題は、今の状況では、社会に受け入れられるにはまだまだ時間がかかると思います。

 

 

他人に関心がないわけですから、協調性もなければ、気配りも、思いやりの気持ちを他人に表すことがとても苦手なわけです。

 

 

ですから、他人との関わり合いの中で、トラブルが発生してしまうのです。

大勢の中に放り込まれてしまうと、たちまち周りの反発を買ってしまう僕です。

 

 

そんな僕はこの社会の中でどうすれば良いのでょうか?

誰も僕にそのことを教えてくれずに、僕はただ戸惑い、この社会と一定の距離を保つために自宅にひきこもったのです。

 

 

 

30年近く僕は自宅にひきこもってしまいました。

他人が怖くて仕方がなかったのです。

 

 

そんな僕をみんなとうまく関われる様にと孤軍奮闘した支援者の青木です。

知識として発達障害のことを学んできた青木です。

家族のような関わり合いの中で、1000人近くの人たちの支援を30年間、行ってきました。

その中にはもちろんASDとの診断が降りていた人たちも大勢いました。

 

 

それでも僕のことをなかなか理解することができずに、日々疑問を感じながらの支援活動だったと思います。

 

それほど僕の存在はあり得ないほどのケースだったのでしょう。

 

支援が3年目に入ろうとするころに、ようやく青木は僕の状況を把握することができたそうです。

何が苦手で、何が得意なのか?

 

それがわかって初めて、僕にフィットした支援が提供されたのです。

 

 

日常生活の中で起きる日々の僕の問題は、青木が学んだその知識をはるかに凌駕していたのです

 

 

 

 

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ADHDの彼らとASDの僕  東大

 

僕が支援を受けてきた10年間で、50人近くの同じ仲間を見てきました。

その中で僕の様なタイプの人は数人でした。

 

 

多くの支援仲間は学校にそして社会に戻っていきました。

ヒロさん、大統領さん、テルさん、シンゴさん、ブンさんなどなど。

しかし、僕やエイジさんはそうはいきませんでした。

 

 

その違いは何かというと、僕はASDの孤立型なのです。

エイジさんもそうです。

 

 

ヒロさん、大統領、テルさん、シンゴさん、ブンさん、青木さんなどは、孤立型ではないのです。

彼らは、ADHDの特性が強いタイプなのです。

むしろ他人と関わりたくて仕方がない人だと、僕には思えます。

 

 

だから、彼らは他人に関心が人一倍あるのです。

他人と積極的に関わりたいという強い思いがあるのです。

他人と関われない現実に戸惑い、自信を失い、茫然自失の状態なのです。

 

 

そんな彼らにどうすれば、友達ができるのか?

どうすればみんなの輪の中に入れるのかを手取り足とり教えたら、彼らは素直にそのアドバイスに耳を傾けて、実践してみるのです。

 

その一方、僕たちの様なタイプは、もともと他人に関心がありません。

全くないというわけではないのですが・・・。

だから、他人の目を気にしたりすることもありません。

 

 

それで、同じ服を数日着続けたり、穴のあいた靴を平気で履いていたりするのです。

 

 

他人に関心がないから他人も僕に関心がない。

当たり前すぎることです。

 

 

ADHDタイプの彼らの成長をはたからみると、その変化に驚きます。

しかし、僕たちの成長はほとんどわからない程度でしかないのです。

 

 

 

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30年間のひきこもりからの回復 東大

初めてのボランティア活動 楽しかったです

 

 

10年近くの僕への支援について、簡単にはお話ができません。

あえていうならば、自分自身を知ったということです。

自分への取り扱い説明書みたいなものがわかったということです。

 

 

そこに至るまでに10年近くかかっています。

なぜ10年間もかかってしまったのか?

支援をしてくれた青木に言わせれば、経験不足だったとのこと。

僕の様なタイプの支援をしたことがなかったそうです。

また、東京大学を卒業しているくらいだから、時間をかけて支援をすればそこそこ成長するのではないかと感じていたことも勘違いだったと言っています。

 

 

東京大学に入れるくらいだから、こんな程度のことはできるに違いない。」

多くの人はそう思うでしょう。

しかし、東京大学に入る能力と、社会に適応する能力は違うのです。

 

 

この団体を支援してくれている色々な飲食店で就労練習をさせてもらいました。

しかしどのお店の人たちからも、東京大学を卒業しているのに、なぜこんな簡単なことができないのか?」と言われました。

 

 

本当のことなので、気分を悪くすることはありませんでしたが、僕には答えようがありませんでした。

 

 

今ならわかります。

僕の様な特性の人たちへの支援は他の発達障害の人たちへの支援と違うということが・・・・。

 

 

残念ながら、どのような支援でも、僕の持つ特性を変えてしまうことはできません。

ほんの少し程度、和らげられることはあっても。

 

僕の様な特性の人には、その特性を周りが受け入れることしかできないのです。

そして、その特性に合わせて生活設計を考えてあげることが必要です。

 

 

それが僕たちの特性には1番必要なことなのです。

僕たちを普通にしようなんて考えないでください。

お気持ちはわかります。

 

 

でもそれは僕たちにとって理解し難いことなのです。

発達障害で起きる多くの問題は、お互いが理解できないところにあると思うのです。

それがわかった青木は僕に対する接し方を大きく変えてくれました。

 

そして僕の将来設計も僕の特性に合わせて考えてくれました。

今はとても快適な毎日を過ごしています。

何をおいてもこの世の中で、自分のことをよくわかってくれる人たちがいることに、大きな安心感を感じているのです。

 

 

 

 

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どうして東大を出てひきこもってしまったのか?

初めてのボランティア活動、とても緊張しました。

 

僕は東京大学に現役で合格、大学院まで進んだ人間です。

優秀な人間だと思っていたし、そのことで自信もありました。

しかし、大学院での日々の中で周りの人たちとの関わりがうまくいきませんでした。

 

 

大学院も行けなくなって、そのことから決まっていた一流企業への就職もダメになりました。

僕は東京大学を卒業したのに、アルバイトにさえつけない人間になってしまったのです。

 

 

それ以上に、自分以外の人間は僕より優秀な人たちだと思い込み、強い不安から家からも出られなくなってしまいました。

最初の頃は(そのうちになんとかなる)と思い込んでいました。

 

 

しかし、5年、10年、15年と時は過ぎていきました。

今から思えばあっという間でした。

いつもはゲームをしたり、高校時代に使っていた数学問題集を解いていたりして過ごしていました。

 

 

相棒のプレイステーションの電源が入らなくなるとさらに暇になってしまいました。

このくだりは、エイジさんと同じなんですよ。

 

 

プレイステーションは修理に出せば良いだろうとみなさんは考えると思います。

しかし、他人と関わりを持つことをとても不安に思っていた僕には無理なことでした。

 

 

結局、プレイステーションの時間は、読書に変わったり、1人で考えごとをする時間に変わりました。

考え事と言っても、この年で働ける仕事は何かと考えることぐらいでした。

結論は医者しか考えつきませんでした。

 

 

 

 

よし、医学部に挑戦だ。

勉強に関してはまだ自信がありましたので、思い立って受験勉強を開始するのですが・・・・。

やはり、家から外に出ることに強い不安を感じていたため、再び大学にいくことは難しいと感じてしまうのです。

 

 

そして、また考えこむ日々なのです。

 

 

50を超えた頃から、自死する考えが出てきました。

「このまま無意味に生きていくぐらいなら、死んでしまった方が楽になる。」

そう思うのですが、自死を決断することもできませんでした。

 

 

そして、僕は親戚が見つけてくれたこの団体と出会うことになるのです。

 

 

 

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