発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

東京の夜の美しさよ。東大

 

 

フイリピンに戻り、2週間過ごしてまた3月7日日本に帰国しました。

帰国時に書くことがあったので、ブログを更新しようとしましたが、ドタバタしてしまい、書くタイミングを逸してしまいました。

 

 

まあ相変わらずの忙しさです。

いいえ、僕ではなく青木なんですけれど。

 

 

1人で全てのことをやっているわけでして。

「誰か雇ったりすればいいだけなのでは?」と簡単に思われる方が多いと思います。

しかし、信頼できるスタッフになかなか巡り会えないのがここフィリピンなのです。

とにかく騙そうと企む人たちが多いと感じるのは僕だけではないです。

 

 

だから青木が孤軍奮闘しているわけです。

 

 

 

フィリピンのレストランについては、波がありますが、多いときには満員御礼です。

 

 

一点問題があるのは、営業許可がまだ降りていないのです。

あり得ない話です。

ですから、現在はソフトオープニングとして営業しています。

朝から深夜までの営業の予定ですが、今は夜の3時間だけの開店です。

 

 

営業許可は6月らしいです。

なんとも、フィリピンらしいと言えばらしいですね。

世界で1番ビジネス環境が良くない国がフィリピンだと何かのテレビ番組で見た気がします。

 

 

そこで毎日頑張っているこの団体をどうか応援してください。

 

 

僕はといえば、日本でのアルバイト生活がそれなりに充実しています。

アルバイトが終わるのはいつも深夜の時間帯です。

その時間帯は、日中の喧騒とは違い、東京の街も静かな表情を僕に見せてくれます。

 

 

海沿いのコンビナートの淡い光、重なり合う高層マンションの常夜灯。

なんとも幻想的な光景です。

 

 

昼間は、電車が通過する音。

工事の音。

人々が話し合う声。

 

 

喧騒の中にいる僕です。

そんな時間帯と静かな東京の夜の対比が僕にはとても面白く映っています。

 

 

深夜バイト帰りに寄ったコンビニで買う、ビールとおつまみ。

500円でお釣りが来る程度の贅沢。

 

周りに誰もいないのを確認して、歩きながら小さな声で歌ったりします。

何を歌うかって?

カーペンターズとかかな。

 

変な話かもしれませんが、僕は生きているんだと感じる時間なのです。

 

 

それだけではとても寂しいのかもしれませんね。

またフィリピンに帰り、たくさんの仲間に囲まれて冗談を言い合う時間も僕には必要なのです。

 

 

取り留めのない話をしました。

 

 

これからこんな感じの文章でも書いていきます。

よろしくお願いします。

 

 

youtu.be

 

 

 

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ADHDの彼らとASDの僕 その② 東大





 

発達障害の大きな問題は、僕たちの様な他人に関心を持つことができない人たちが抱える問題ではないかと思うのです。

 

 

ADHDの特性を持つ人たちが抱える問題が、昔からよくクローズアップされていましたが、今は以前ほど取り上げられなくなった気がします。

 

 

どの様にすれば、ADHDの特性を持つ人たちが快適に暮らせるようになるかを支援の現場で考られています。

その成果が徐々に世の中に浸透して来ているのではないかと考えます。

 

以前は〈片づけられない人〉という言葉がよく飛び交っていましたが、今では工夫でなんとかなるというところまで来ていると思います。

僕も、全く片付けることができなかった人間ですが、片付けの決め事を守ることで、僕の部屋は汚部屋ではなくなりました。

 

 

ADHDが殊更に問題として取り上げられなくなる日もそんなに遠くはないと思います。

 

 

その一方、僕の様な特性を持つASDの人たちが抱える問題は、今の状況では、社会に受け入れられるにはまだまだ時間がかかると思います。

 

 

他人に関心がないわけですから、協調性もなければ、気配りも、思いやりの気持ちを他人に表すことがとても苦手なわけです。

 

 

ですから、他人との関わり合いの中で、トラブルが発生してしまうのです。

大勢の中に放り込まれてしまうと、たちまち周りの反発を買ってしまう僕です。

 

 

そんな僕はこの社会の中でどうすれば良いのでょうか?

誰も僕にそのことを教えてくれずに、僕はただ戸惑い、この社会と一定の距離を保つために自宅にひきこもったのです。

 

 

 

30年近く僕は自宅にひきこもってしまいました。

他人が怖くて仕方がなかったのです。

 

 

そんな僕をみんなとうまく関われる様にと孤軍奮闘した支援者の青木です。

知識として発達障害のことを学んできた青木です。

家族のような関わり合いの中で、1000人近くの人たちの支援を30年間、行ってきました。

その中にはもちろんASDとの診断が降りていた人たちも大勢いました。

 

 

それでも僕のことをなかなか理解することができずに、日々疑問を感じながらの支援活動だったと思います。

 

それほど僕の存在はあり得ないほどのケースだったのでしょう。

 

支援が3年目に入ろうとするころに、ようやく青木は僕の状況を把握することができたそうです。

何が苦手で、何が得意なのか?

 

それがわかって初めて、僕にフィットした支援が提供されたのです。

 

 

日常生活の中で起きる日々の僕の問題は、青木が学んだその知識をはるかに凌駕していたのです

 

 

 

 

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ADHDの彼らとASDの僕  東大

 

僕が支援を受けてきた10年間で、50人近くの同じ仲間を見てきました。

その中で僕の様なタイプの人は数人でした。

 

 

多くの支援仲間は学校にそして社会に戻っていきました。

ヒロさん、大統領さん、テルさん、シンゴさん、ブンさんなどなど。

しかし、僕やエイジさんはそうはいきませんでした。

 

 

その違いは何かというと、僕はASDの孤立型なのです。

エイジさんもそうです。

 

 

ヒロさん、大統領、テルさん、シンゴさん、ブンさん、青木さんなどは、孤立型ではないのです。

彼らは、ADHDの特性が強いタイプなのです。

むしろ他人と関わりたくて仕方がない人だと、僕には思えます。

 

 

だから、彼らは他人に関心が人一倍あるのです。

他人と積極的に関わりたいという強い思いがあるのです。

他人と関われない現実に戸惑い、自信を失い、茫然自失の状態なのです。

 

 

そんな彼らにどうすれば、友達ができるのか?

どうすればみんなの輪の中に入れるのかを手取り足とり教えたら、彼らは素直にそのアドバイスに耳を傾けて、実践してみるのです。

 

その一方、僕たちの様なタイプは、もともと他人に関心がありません。

全くないというわけではないのですが・・・。

だから、他人の目を気にしたりすることもありません。

 

 

それで、同じ服を数日着続けたり、穴のあいた靴を平気で履いていたりするのです。

 

 

他人に関心がないから他人も僕に関心がない。

当たり前すぎることです。

 

 

ADHDタイプの彼らの成長をはたからみると、その変化に驚きます。

しかし、僕たちの成長はほとんどわからない程度でしかないのです。

 

 

 

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30年間のひきこもりからの回復 東大

初めてのボランティア活動 楽しかったです

 

 

10年近くの僕への支援について、簡単にはお話ができません。

あえていうならば、自分自身を知ったということです。

自分への取り扱い説明書みたいなものがわかったということです。

 

 

そこに至るまでに10年近くかかっています。

なぜ10年間もかかってしまったのか?

支援をしてくれた青木に言わせれば、経験不足だったとのこと。

僕の様なタイプの支援をしたことがなかったそうです。

また、東京大学を卒業しているくらいだから、時間をかけて支援をすればそこそこ成長するのではないかと感じていたことも勘違いだったと言っています。

 

 

東京大学に入れるくらいだから、こんな程度のことはできるに違いない。」

多くの人はそう思うでしょう。

しかし、東京大学に入る能力と、社会に適応する能力は違うのです。

 

 

この団体を支援してくれている色々な飲食店で就労練習をさせてもらいました。

しかしどのお店の人たちからも、東京大学を卒業しているのに、なぜこんな簡単なことができないのか?」と言われました。

 

 

本当のことなので、気分を悪くすることはありませんでしたが、僕には答えようがありませんでした。

 

 

今ならわかります。

僕の様な特性の人たちへの支援は他の発達障害の人たちへの支援と違うということが・・・・。

 

 

残念ながら、どのような支援でも、僕の持つ特性を変えてしまうことはできません。

ほんの少し程度、和らげられることはあっても。

 

僕の様な特性の人には、その特性を周りが受け入れることしかできないのです。

そして、その特性に合わせて生活設計を考えてあげることが必要です。

 

 

それが僕たちの特性には1番必要なことなのです。

僕たちを普通にしようなんて考えないでください。

お気持ちはわかります。

 

 

でもそれは僕たちにとって理解し難いことなのです。

発達障害で起きる多くの問題は、お互いが理解できないところにあると思うのです。

それがわかった青木は僕に対する接し方を大きく変えてくれました。

 

そして僕の将来設計も僕の特性に合わせて考えてくれました。

今はとても快適な毎日を過ごしています。

何をおいてもこの世の中で、自分のことをよくわかってくれる人たちがいることに、大きな安心感を感じているのです。

 

 

 

 

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どうして東大を出てひきこもってしまったのか?

初めてのボランティア活動、とても緊張しました。

 

僕は東京大学に現役で合格、大学院まで進んだ人間です。

優秀な人間だと思っていたし、そのことで自信もありました。

しかし、大学院での日々の中で周りの人たちとの関わりがうまくいきませんでした。

 

 

大学院も行けなくなって、そのことから決まっていた一流企業への就職もダメになりました。

僕は東京大学を卒業したのに、アルバイトにさえつけない人間になってしまったのです。

 

 

それ以上に、自分以外の人間は僕より優秀な人たちだと思い込み、強い不安から家からも出られなくなってしまいました。

最初の頃は(そのうちになんとかなる)と思い込んでいました。

 

 

しかし、5年、10年、15年と時は過ぎていきました。

今から思えばあっという間でした。

いつもはゲームをしたり、高校時代に使っていた数学問題集を解いていたりして過ごしていました。

 

 

相棒のプレイステーションの電源が入らなくなるとさらに暇になってしまいました。

このくだりは、エイジさんと同じなんですよ。

 

 

プレイステーションは修理に出せば良いだろうとみなさんは考えると思います。

しかし、他人と関わりを持つことをとても不安に思っていた僕には無理なことでした。

 

 

結局、プレイステーションの時間は、読書に変わったり、1人で考えごとをする時間に変わりました。

考え事と言っても、この年で働ける仕事は何かと考えることぐらいでした。

結論は医者しか考えつきませんでした。

 

 

 

 

よし、医学部に挑戦だ。

勉強に関してはまだ自信がありましたので、思い立って受験勉強を開始するのですが・・・・。

やはり、家から外に出ることに強い不安を感じていたため、再び大学にいくことは難しいと感じてしまうのです。

 

 

そして、また考えこむ日々なのです。

 

 

50を超えた頃から、自死する考えが出てきました。

「このまま無意味に生きていくぐらいなら、死んでしまった方が楽になる。」

そう思うのですが、自死を決断することもできませんでした。

 

 

そして、僕は親戚が見つけてくれたこの団体と出会うことになるのです。

 

 

 

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情報発信に僕も参加します。東大

自然の美しさに心が洗われます。シャルガオ島

 

 

 

僕は今、シャルガオ島に滞在しています。

朝晩にスコールがありますが、概ね天気は良好です。

本日はYouTubeの撮影ということで、ビーチに来ました。

 

 

フィリピンのシャルガオ島の海の美しさに僕は感動しますが、沖縄の海の美しさを知る僕は沖縄の海に軍配を上げます。

まあ、ケチをつけるわけではないですが。

 

 

まだ沖縄に行ったことがなければぜひ、宮古島の海を訪れてください。

 

 

 

さて。

今一度自己紹介をします。

僕は東京大学を卒業しました。

そして大学院に進みました。

大学院で周りの人たちとうまく関われなくなり、大学院を休学してしまいました。

 

 

 

教授の優しさと長い時間をかけたことで、なんとか大学院を修了できました。

しかし、その後は不安が増して30年近く家にひきこもっていました。

 

 

50を少し超えたところで、この団体と出会い、時間はかかりましたが、支援につながり今に至ります。

 

 

現在、この団体で支援に携わる一方、簡単なアルバイトに従事しています。

アルバイトをしている理由ですが、それは私自身のリハビリのようなものです。

アルバイトを通して、できるだけ色々な仕事につき、〈できた。やれた。〉という経験を増やすことに努めています。

 

 

様々な経験を通して、日々自分が成長していることに気づきます。

もうすでに60歳を超えているのですが・・・。

 

 

長い期間、支援を受けてきてようやくわかったことは、私が抱える多くの問題は残念ながら、解決することができないということでした。

 

 

もちろん解決できないけれど、諦める必要はなく、その問題を和らげられることがあることも学びました。

 

 

東京大学そして大学院まで修了したにも関わらず、定職に就くことができなかった僕は、この社会では敗者と言えるかもしれません。

 

 

しかし、僕は僕らしく生きていく自信をつけました。

他人と自分を比較する必要はないのです。

自分が幸せだと感じたならば、それで良いのです。

僕は今は幸せな日々を送っています。

できるならば、結婚相手が見つかれば良いなとは思っていますが。

 

 

 

偉そうなことは何も言えません。

こんな僕の人生を否定する人もいるでしょう。

それはそれで良いと思っています。

 

 

まあ、日本に住んでいますと色々と批判されることが多いという現実は確かにあります。

だから、日本を離れてフィリピンに終のすみかを見つけたのです。

 

 

こんな僕でも同じような状況にある人たちの目標になれるのです。

 

 

長い期間体調不良でしたが、これからどんどん発信していこうと思います。

昔の僕の様な人たちの役に立てれば幸いです。

 

 

 

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3/30 30年ひきこもった男の生き様。エイジ

 

 

テルさんから連絡がありました。

「頑張ってブログを書いてください。」という内容でした。

「エイジさんのことを応援してくれている人たちがいます。その人たちに向けて書いてください。」とも言われました。

 

 

だから今書いています。

 

 

私は普段フィリピンのシャルガオ島に住んでいます。

そこで社会復帰目指して日々練習をしています。

私の目標は経済的な自立とフィリピン女性と結婚することです。

 

 

先日、シャルガオ島からマニラまで食材の買い出しに行きました。

以前青木さんに連れられて購入すべき食材を一通り覚えました。

それで、私が1人で買い付けに行ったのです。

 

私がですよ。

 

買い付けでわからないことがあったら電話するようにと言われていました。

また、メッセンジャーを使って映像を確認できるからとも言われました。

 

 

当日は買い物を終えてホテルに戻り、購入した食材をホテルの冷蔵庫に入れてもらいました。

そうしたら、青木さんから電話がありました。

購入前に映像で食材のチエックをしなければなりませんでしたが、それを忘れてしまいました。

 

私が購入した食材のうちブルーマリンの刺身で使う部位を、刺身用には使えない部位を購入してしまいました。

 

 

青木さんからは、購入前には必ず映像でチェックするようにと改めて言われました。

 

 

シャルガオ島に帰り、シェフに購入した食材を渡しましたら、にっこりして「グッドジョブ」と言ってくれました。

 

 

何気ない一言ですが、とても嬉しかったです。

 

 

次はフィリピン随一の漁港ジェネラルサントスで、マグロの買い付けです。

シャルガオ島からダバオまで飛行機で1時間。

ダバオからジェネラルサントスまでバスで6時間の道中です。

 

 

私は、知らない町をうろうろするのが好きなんです。

だからこの仕事は私にあっていると思います。

ジェネラルサントスに行ったら、マグロの変わった料理を食べてみたいです。

 

 

買い出しのやり方がわかったら、以後2週間に1度の買い出しになります。

役に立ちたい。

その思いでがんばります。

 

 

いつも応援をありがとうございます。

 

 

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