発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

どうしても幸せになりたい。エイジ

        頑張れ、負けるな、力の限り

 

 

私は頑張っていますよ。

あゆみは亀より遅いかもしれませんが、30年間何もしてこなかったわけですから、それから考えたら随分と成長したと思っていますよ。

 

 

念願のジムも青木さんがつくってくれました。

ジムの器機を揃えるにもお金がかかります。

全部個人で揃えると場所なども含めて30万円以上はかかるそうです。

それで青木さんは、シャルガオ島にあるジムに私を連れて行って体験入会をしてくれたのです。

 

 

それは前にこのブログで投稿しました。

しかし、私はついていけませんでした。

とてもじゃないけれど、貧血を起こしてしまいました。

事前にハンディがあるとか青木さんが丁寧に説明してくれたのですが・・・。

 

 

私には私のペースに合わせたエクササイズが必要なのです。

それで個人でできるジムが必要になり、忙しいにも関わらず、私のためにジムを作ってくれたのです。

雨天でもできるように室内に作ってくれました。

 

やるんだ!! 泣くのが嫌ならさあ、歩け

 

 

そして器機も中古を探してきたりして徐々に揃えてくれたのです。

本当にありがとうございます。

感謝しています。

 

 

そして私は、今は毎日エクササイズに励んでいます。

先生は以前ジムで働いていた経験がある方です。

 

 

わたしの今の状況を測定して、日々の成長をモニタリングしてくれます。

 

 

またビサヤ語の練習もいよいよ来週から開始です。

こんな私ですから、結婚なんて無理だとみなさんは思っていると思います。

私もそう思っています。

 

 

でもどこかでまだ希望はあるんじゃないかとも思っている私です。

そのことを目標としたら、また頑張れるのです。

 

 

仕事の方は徹底的にたこ焼きの練習をしました。

青木さんはじめ他のスタッフにもその味を認められました。

お店で私が焼いたたこ焼きを美味しそうに食べてくれるお客さんの姿を見て、涙が出そうになりました。

 

 

みなさんから見たら大したことじゃなくても、30年間何もやってこなかった私にとってはとても大きな出来事なのです。

 

 

洗い場での練習、メニューの取り方、市場での買い物など引き続き練習を繰り返しています。

私は、他の皆さんが普通にできることができません。

 

 

でも諦めないで引き続き頑張れば、いつかはできるようになると思っています。

できなかったことが、できるようになれば、それが私の自信となります。

 

 

聞こえない聴力を戻すことはできません。

でも、わからないことは、適当な返事をするのではなく、わかるまで相手に気聞き返すことが大切です。

 

 

曲がってしまった背中を元に戻すことはできません。

でも体をシャープにして、見た目を少しは良くすることはできます。

 

 

汗をかいたら洗濯したての服を着替えること。

靴は3日おきに履き替えて、履いていた靴は洗うこと。

いつもカバンにtissueを入れて置くこと。

 

 

知らないことを知るようになる。

できないことができるようになる。

諦めずにコツコツと毎日やっていくこと。

 

 

私の頑張りが誰かの励みになれると良いな。

 

 

感謝します。

ありがとうみなさん。

 

 

 

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その人にあった幸せが良いのです。テル

5年前にお会いした時には笑顔なんて見られませんでした。

その人にあった幸せは一人一人違うわけです。

 

 

東大さんには東大さんの幸せの形があります。

エイジさんにはエイジさんの幸せの形があるのです。

僕には僕の形があります。

 

 

発達障害の人たちを取り巻く状況で何が問題になっているのかというと、一人一人違う状態を考えずに、多数派の人たちの状態に合わせようとするところにあるのだと思います。

 

 

例えば東大さんとの会話は、他の人との会話と違って、話していても面白くありませんし違和感を感じます。

なぜかというと、相手の意図を汲み取れないからです。

 

 

これは東大さんが持って生まれた特性なのです。

変えようとしても変えられないものなのです。

 

 

東大さんは相手に対して配慮をすることが苦手です。

その一方、青木さんは配慮の人と言っても良いです。

両者の違いはどこにあるのか?

 

 

例えば東大さんの周りにいる人たちは、こう思うでしょう。

東大さんは配慮することを知らないだけの人だから、配慮することは大切なことなんだよ。と教えてあげれば良いのだ。

 

 

そう感じた青木さんは、当初、東大さんが苦手だとすることに対して、徹底的に寄り添い、東大さんがそれらを身につけることができるように支援をしたのです。

しかし、残念ながら東大さんがそれらを身につけることはできませんでした。

 

 

当初の頃は、変わらない東大さんを見て、やる気がないと感じた支援者の青木さんは、強い口調で注意したりしたこともあったそうです。

 

 

青木さんが3年近く東大さんと同居しながら寄り添い、支援をしてきてわかったことは、ある部分において東大さんは変わることができない人なのだということでした。

 

 

その理由は、他者に対して関心を持てない人だからです。

だから他者に対して配慮するという考えを持ち合わせられないのです。

そう結論づけられるまでに、3年間を要しました。

 

 

そして今、東大さんは、自分が過ごしやすい環境で生活をしています。

相変わらず、深い会話をするのが苦手です。

他者に対する配慮ができないのです。

それでも、東大さんは周りの人との簡単な関わりを持つことで幸せを感じています。

 

 

それで良いのです。

 

 

東大を優秀な成績で出たのだから、良い就職先に入社して、良い女性に出会い家庭を築く。

親ならばそう思うのが一般的でしょう。

 

 

しかし、そんなふうに親の思い通りにならない子どもたちがいるのです。

 

 

普通の子どもの様ではない自分の子どもに対して「なぜ?どうして?」と疑問を持つ親がいます。

そんな親の思いは、段々と子どもを否定することに走っていきます。

 

 

どんなに子どもを否定しても、何も変わりません。

親にできることはただ一つ、ありのままの子どもさんを受け止めるしかないのです。

理解しようとしても理解なんてできません。

 

 

受け止めるだけのことしかできないと分かった時、初めてその家庭に平安が訪れるのです。

 

 

 

と、我ながら鋭いところを指摘したなと、ちよっと自慢げに思っている僕です。

 

 

そう気づいてくれる人たちが増えることを願うだけです。

 

頑張れ青木さんたち。

 

 

 

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東大さんが働き始めました。テル

♪〜 泣きなさあい 笑いなさあああい いつの日かいつの日か花を咲かそうよ

 

まあ僕のことを書いてもあまり意味がないので、簡単に書きます。

僕の彼女並びに家族はとても素晴らしい存在です。

両親は大学を出ていて、いまだに仕事をもっているのですから。

 

 

カナダやオーストラリアに移住した親戚の家に、彼女はホームステイしたり、海外留学もしました。

だから日本人の僕とのコミニュケーションもそんなに違和感を感じないのです。

 

 

僕には素晴らしすぎる存在だと思っています。

そのうちに飽きられて違う男性に目がいってしまうのではないかと不安です。

その為には僕がもっと変わらなければなりません。

ただそれだけのことです。

 

 

かわることができなければ、彼女はきっと僕の元を去ってしまうでしょう。

去られたら諦めて違う相手を探すしかありません。

その時に、その様に納得できるかどうか?

 

まあやるしかないのですけれど。

 

 

さて、フィリピンのお店ですが、現在ソフトオープニング中です。

グランドオープンは3月1日を予定しています。

日本人シェフがまもなくやってきます。

青木さんから引き継ぎをして、店を盛り上げていってくれると思います。

 

 

東大さんは東京でアルバイトに励んでいます。

働くことが楽しいそうです。

 

 

「人が足りないのでシフトに入ってくれないかな?」と電話がかかってきた時に、今まで感じたことのない〈他者に必要とされていること〉を感じたそうです。

それが嬉しくて仕方がないと僕にその気持ちをメールで教えてくれました。

 

 

気づけば毎日の様に仕事に行っているそうです。

職場は同じ様な感じの人たちばかりだそうです。

アルバイトにはいる前は、周りの人たちから「なんでその年齢でアルバイトをしているのか?」

「最終学歴はどこなんだ?」

そんなことを色々と聞かれたらなんて答えていいのか分からず、不安が強くなって、何回かアルバイトをキャンセルしてしまったらしいです。

 

 

しかし、意を決してアルバイトにのぞんだら、心配していることなど何も起きなかったそうです。

それどころか、色々と話しかけてくれる人がいたり、飴をくれたりする人、面白い冗談を言う人などがいてとても職場が楽しいそうです。

 

アルバイト帰りに、コンビニに寄って好きなものを色々と選んだりする時間がとても楽しいそうです。

「自分は働いている。お金を稼いでいる。だから自分の欲しいものを買うのだ。そう思える自分がいるんだよね。」とのこと。

 

 

「多くを望んではいないから、こんな生活でも幸せを感じるんだよ。30年間ひきこもっていた僕だからかもしれないけど。」

 

 

ああああ、生きているしあわせを感じることができているなら、それで十分ではないですか?

良かったですよ。

ほんとうに。

 

 

お互いの自宅ってタクシーでも30分以内ですよね。

落ち着いたら会いませんか?

青木さんも今年中に名古屋から東京に引っ越しをするんですよね。

 

僕にとっては、皆さんが近くにいてくれてとても心強いです。

 

 

さあ、エイジさんも東大さんに続きましょう!!

 

青木さんは3月から支援再開できるように準備を始めました。

 

 

頑張れ、負けるな、力の限り。

 

 

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2024年僕は多分結婚します。テル



 

ご無沙汰しております。

大変長い日数ブログを書いていませんでした。

申し訳ありません。

 

まず近況報告です。

青木さんは健康を取り戻しています。

昨年12月に入ってから大変な忙しさの中、疲労が溜まり寝込んでしまっていました。

12月25日にソフトオープニングの予定でしたが、1月28日に変更となっています。

 

 

エイジさんは変わらず元気です。

脳の血管にこぶ(動脈瘤)が見つかり1ヶ月後の検診で、今の所は問題ないということでした。

日々社会復帰の為の練習を居場所である飲食店で1日中しています。

 

 

東大さんは近々ブログを書くということです。(1月21日掲載ずみ)

新しいステージで過ごしていきます。

体調が戻れば、フィリピンに戻ります。

 

 

 

明日以降それぞれの方達の近況報告をしていきます。

まずは僕から報告させていただきます。

 

 

クリスマスから年始にかけて、僕の彼女の両親が東京に来ました。

理由は日本移住への準備です。

 

 

 

彼女の両親が日本への移住を決めたその理由は、医療面でのことです。

父親が兄弟を病気でなくしました。

日本では死にいたる病気ではないのですが、フィリピンでは手術費がとても高額となり、富裕層しか満足な医療を受けられないのです。

 

 

僕の彼女を通して日本の保険制度の素晴らしさを調べ上げた父親です。

そして、今、彼女の母親が医療を必要としているのです。

緊急ではないですが、近い将来高度な治療を必要としています。

 

 

このままフィリピンに滞在していては、なんの希望も持てません。

フィリピンでの母親の診断結果をすでに彼女がオンライン医療相談で聞いています。

それで大まかな医療費を算出しました。

 

 

もちろん彼女の母親が日本での医療を受けられるには、彼女の母親が日本国籍を持つことが条件なのです。

 

 

つまり、僕と彼女が結婚をしないと彼女の母親は日本に住むことも、日本の高度な医療も受けられないのです。

 

 

ということで、クリスマス前は両親を連れて都内の公営や私立の病院見学をしました。

とにかく、両親にとっては日本のあらゆることが驚きでしかなかったです。

日本の素晴らしさを目の当たりにして、声を出して驚いていました。

 

 

あと食事に関しても、日本人の多くがとても栄養面を気にしていること。

コンビニやスーパーで栄養をうたった食品がほんとうにたくさんあること。

特に色鮮やかなたくさんの野菜を目にして、次から次へと同伴した僕の母親にそれぞれの野菜について尋ねていた両親です。

 

 

それもそのはず、フィリピンに住んだことのある人はわかると思いますが、フィリピンは食材が日本と比べてとても少ないのです。

しかも味も鮮度も良くないのです。

 

 

南国ですから、フルーツは日本より多くの種類が安く手に入ると思われがちですが、そうではありません。

手に入る種類は多くはなく、しかも日本よりおいしくないです。

 

 

だから、日本に来るフィリピン人は日本の魅力に取り憑かれてしまうのです。

 

 

 

余白がなくなってきました。

また明日。

 

 

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2024年こそ、落ち着いた日々が来ますように。東大

     凸凹3人組です。今年もよろしくお願いします。

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

能登地区の皆様にはとても辛い新年の始まりでした。

私もフィリピンで台風被害に遭い、家が全壊し、食糧と水を求めて彷徨い続けた経験があります。

ですから、その辛さや不安は自分のことの様に感じています。

どうか1日も早く正常な生活に戻れますようにお祈りさせていただきます。

 

 

昨年の誕生日で63歳になりました。

2021年12月に長い時間をかけて作り上げたゲストハウスが台風によって、オープン前に全壊してしまいました。

 

 

私が長い期間をかけて一生懸命に作りあげてきたにもかかわらず、オープン前に全壊となったのです。

住むところを失い、雨を凌ぐ場所を探し、飲み水と食料の確保に数日歩き回ったことを思い出します。

 

 

 

2022年には、家族との間にいざこざが起きてしまいました。

あれほど優しかった家族と仲違いしてしまったのです。

その後、私は酷い鬱症状になり、何もできなくなりこの団体には随分と迷惑をかけてしまいました。

 

 

青木の紹介で弁護士に間に入ってもらい、問題は解決しましたが、家族間の関係は壊れたままです。

 

 

多くの方から励ましの手紙もいただきました。

時間はかかりましがなんとか前向きに生きていくことができるまでに心も回復し、2023年、今年こそはと思っていた矢先に、心臓に欠陥が見つかり大きな手術に臨みました。

 

 

幸い手術は成功しましたが、体力も気力も奪われてしまった私です。

また、何があるかわからないとのことで、現在フィリピンには長期滞在ができず、12月からは、主に東京に住むことになりました。

 

 

これだけの出来事が起こったいま、私は未だ混乱の中にいます。

10年間ひきこもっていた青年と東京で同居し、彼が社会復帰することを目指して近々一緒にアルバイトに入る計画です。

こんな私ですが今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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今の私の着地点。エイジ

楽しく暮らしたい。多々それだけが私の思いです。

 

毎日、毎日練習をしています。

働く練習。

会話の練習。

体力増強の練習。

歌う練習。

 

しかし、練習すればするほど自分にはできないことがあまりにも多くあることに最近ようやく気づきました。

普通の人が簡単にやることが私にはできない。

 

 

練習してもできないことがたくさんあります。

どうすればいいのか、悩んでいました。

 

 

 

青木さんは、「練習は続けなければならない。

練習してできるようになったこともあるのだから。ただ、できないことに対しては練習を続けても意味がないので、違う方法を考えることが大切。」と言ってくれました。

 

 

私の場合、すぐに反応ができないことが1番の悩みです。

話を聞いてもすぐに対応できないのです。

他の人は話を聞いてすぐに行動に移せます。

 

 

私も遅れてはいけないと思って、他の人と一緒に行動に移します。

しかし、何もわかっていないのです。

だから失敗します。

 

 

青木さんが、「今はそんなに高みを目指さずに、まずは基本的なことをできるようにしよう。」と言ってくれています。

 

 

基本的なこと。

 

1、清潔にすること

 

2、一般的な常識を知る

 

3、体力増強

 

 

まずはこの3点です。

 

 

そして最終的に、色々とうまくいかない場合はどうするのかという話も青木さんとしました。

 

 

うまくいかないというのは結婚の問題です。

働くことはなんとかできる。

それが生きがいにもつながると私は思っています。

その先には結婚の問題があります。

 

 

しかし、今となっては結婚は無理かなと思っています。

決してあきらめてはいませんが、やはりこんな状態の男を好きになってくれる女性はいませんよ。

 

 

それで、せめて女性の友達でもできたらいいかなと思うようになり始めました。

まずはそこからです。

 

 

最終的に結婚を諦めたら、世話をしてくれる人を探します。

日本では老人ホーム一択だと思います。

誰とも話さずに残りの人生を送るのは嫌です。

 

 

最後の最後まで、楽しく過ごしたいと思っています。

応援していただく皆様ありがとうございます。

 

 

本当に程度の悪いASDな人間です。

そんな人間でも幸せになれるところを見せるなんて言いましたが、なかなか難しいです。

 

 

でも諦めません。

何を置いても今は幸せだからそれでいいのです。

 

 

 

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生きていますよ。エイジ

笑ってください。と言われてもこの有様です。ごめんなさい。笑い方を知りません。

 

 

 

お久しぶりです。

元気に生きております。

 

ただ、つくづく思うのが30年ひきこもってしまったことによる影響の大きさです。

 

 

 

私は話し言葉ができないのですよ。

「今日は洗濯をしなければならないので、お昼からの出勤でお願いします。」が「今日、洗濯しないといけないから、お昼・・・・」っと言ってしまいます。

 

 

あのうなんて言うのか、話し方がわからないって言えばいいでしょうか?

30年間誰とも話しをしなかったのですからこうなってしまいました。

英語でもフィリピンの地方語のビサヤ語でも同じです。

 

 

だから話し相手の人が必ず私に聞き返します。

「何が言いたいの?」ってね。

もう疲れてしまってどうしようもないです。

 

 

私、浦島太郎ですね。

あああああ、ダメなんですよ。

まさかこんなにダメなんて。

 

体力もない。

脳に大動脈瘤が見られると脳ドックの先生に言われてから、そのことが頭から離れないんです。

 

 

自分でネットで調べたら余計心配になってしまって・・・。

 

 

青木さんが先生に、「次回はいつ診察に来たらいいですか?」と聞きましたら、「1月にきてください。」と言われました。

「今すぐどうにかなるわけではないけれど、経過観察が必要です。」と言われたのです。

 

 

あああああ、なんの取り柄もない私です。

 

 

それと居酒屋は12月の25日にオープンします。

それで今特訓を受けています。

 

 

恐ろしいほど不器用な私です。

失敗しながらも一生懸命頑張っています。

 

 

私は今までまともに頑張ったことがありませんでした。

今が一生懸命頑張る時だと思っています。

 

 

来年の今頃には、「色々と大変だった一年だったけれど、我ながら頑張った一年でもあったな。」と思いたいです。

 

 

 

そのために必死に他のスタッフのみなさんにくっついて頑張っています。

 

 

それと吉報です。

青木さんが以前支援して、社会に戻って料理人をしている人が、シャルガオの店で働いてくれます。

とても素晴らしい料理人だそうです。

 

 

青木さんが大変なのをこのブログを読んで、日本で働いていた店を辞めて来られるそうです。

青木さんが最近笑顔の理由がわかりました。

 

 

どうか助けてください。

よろしくお願いします。

 

 

私も精一杯後悔のないように頑張ります。

 

 

ありがとう。

 

 

 

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