発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ASDな?夫を持った母の苦悩 テル

 

 

僕の父は、「自分の人生は幸せだ。」と僕に言った。

僕たちのことをどう思っているのかと聞いたら、

「お母さんは、毎日弁当を作ってくれている。お前は大変な中、頑張ったな。」と言った。

 

 

僕にはその答えで十分だった。

父にはそれ以上何も求めていないから。

相手に何かを求めて、求めたものが相手から得られなかったら・・・。

 

 

 

僕は僕のことで、いっぱいいっぱいだった。

自殺するか?生き恥を晒し続けて生きていくのか?

毎日そんなことばかり考えて一日を終えていた。

 

 

だから父親のことを考える余地は僕にはなかった。

母親にしても、僕が不登校になったことで、気持ちが僕に向かざるをえなかったので、15年近く父のことでイライラすることはなかった。

 

 

それ以上に、父親が僕のことを心配してくれて、母親の話に少しは耳を傾けるようになった。

でも、父親からのアドバイスは全てズレていたと母は言っていた。

 

 

そんなこんなで、なんとなく両親は別れることをせずにここまでやってきた。

別れるということも大変なエネルギーが必要なんだろうと思う。

 

 

でもこれで良かったのか?

 

 

母は今でも昔のことを思い出すと、机を叩いたり、叫んだりする。

気性の激しい母ですが、普段はこんな様子を見たことがない。

 

 

「テルが不登校にならなかったら、私はとっくにあの人と別れていた。こんな人生、誰も望んではいない。あの人は家政婦が欲しかっただけなんだ。私でなくても良かったんだ。」と一際大きな声で叫んだ母親です。

 

 

世の中には、僕の母親と同じようにとても苦しんでいる家族がいると思います。

自閉度が高い?(不適切な表現だったら許してください。)家族との関わりができない僕たちです。

 

 

「受け入れなければならない。」と言うのは簡単です。

でもそれが毎日!!なのです。

僕たちにはとても難しいのです。

 

 

お許しください。

 

 

あああああああ。

でも僕たち家族はまだマシなんだろう。

命を断つ瀬戸際まで追い込まれている家庭もあるんだろうな。

 

 

青木さんは、家族の様に彼らと寄り添って支援している。

それは35年間支援の現場にいる青木さんにとっても大変なことで、強いストレスから心筋梗塞になった。

それほどまでにこの支援は大変なんだと改めて思った。

 

 

 

全国の支援者の皆さんの健康をお祈りします。

僕の様な家庭の皆さん、近くの保健所や支援団体につながってください。

 

 

お1人では無理ですよ。

 

 

では。

 

 

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アスペルガーの父?との会話。 テル

 

 

 

 

僕は、前回日本に帰国した時に父と話し合いました。

 

 

事前に青木さんから、「お父さんは、面と向かって話し合うことが苦手なので、前もって話したいことや聞きたいことをメモに書いて、3日前までには渡しておくと良いよ。」とアドバイスをくれましたので、そうしました。

 

 

以前、父は僕たちと一緒に食事をしなかったです。

しかし、僕が中学くらいになって、母と僕の問題で話し合うようになり、毎日ではないですが、母と一緒に食事をするようになりました。

 

 

 

僕が自宅に帰った時も、一緒に食事ができました。

その時には「お前からのメールを読んだけれど、何も問題はないんだよ。私には何も問題はないんだよ。」と話してくれました。

 

 

「昔、お母さんがよく言っていたね。」

「あなたは病気だから、病院で診てもらって。」って。

 

 

「意味がわからなかったな。」

「自分のどこが病気なのかもわからなかった。」

「お母さんはそう言うと、いつも泣くんだよ。」

 

 

「問題といえば、それが唯一の問題だったかな。

お母さんは気性がとても激しい女性だから、仕方がないんだけれど。」

 

 

 

「会社でも何も問題はないよ。ただ、できるだけ会社での食事会や歓迎会に出ないようにはしている。理由はつまらないから。」

 

 

「仕事は入社してから今まで事務職。自分には事務職があっていると思う。パソコンの画面を見ている分には楽しいもんだよ。」

 

 

「お昼はいつもお母さんが作ったお弁当を1人で自分の机で食べている。水筒も必ず会社に持っていく。並ぶのが嫌だから。」

 

 

「夢は、日本の歴史について本を書いてみたい。というか、すでに書き始めているので、よかったら読んでくれないか。」

 

 

 

東大さんのブログをいくつか抜粋して送ったけれど、読んでくれた?

「あああ、読んだよ。・・・・・。」

感想を何か教えて欲しいけれど?

 

 

「感想?

勉強しすぎて、おかしくなってしまったのかな?

病院で診てもらった方が良いと思うよ。」

 

 

僕は驚きました。

何もわかっていない。

何も関心を持っていない。

 

 

自分と関係することだとは思っていない。

共感力が乏しいのかな?

 

 

 

まあこれが現実なんだと思いました。

 

 

 

しばらく無言状態の父でしたが、突然「どうだ、フィリピンは楽しいか?」と聞いてきたので、とても驚いた僕と母です。

 

 

しかし・・・・。

「俺は、日本が良いな。

フィリピンなんか何も魅力を感じない。

行くこともないな。」

 

・・・・・・。

 

 

そんな言い方しなくても良いのに。

 

 

まあ父に関して書くことはこれでおしまいです。

幸せならばそれで良いんじゃないですか?

大変なのは、周りの家族ですよね。

 

 

疲れた。

 

 

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支援しているフィリピンの子どもチビさんのご報告

クラスメイトと共に



 

チビさんは毎日朝6時から夕方5時まで学校で過ごしています。

毎日がとても楽しいとのことです。

 

 

「何が楽しいの?」

「この前クラスで体調が悪い子がいたので、クラスのみんなでその子を抱えて、保健室まで行ったの。みんなでだよ!!」

 

 

「食堂がとても豪華で、ホテルみたいなの!!毎日お昼に何を食べようか迷ってしまう。それでとても美味しいの!!」

 

 

「勉強はとても大変だけれど、すごく面白い。先生がとても楽しく授業で話してくれるから。」

 

 

 

彼女が通っている学校は、私立で1番有名な学校です。

田舎の公立小学校から私立の1番手の学校に転校することは、授業の内容も違いとても大変なことなのですが、家庭教師に教えてもらいながら、頑張っています。

今回のテストの成績が発表されましたが、「すべての教科でベストが取れなかった。」と泣いていました。

 

成績表

 

 

私たちからすると上出来なのですが・・・。

もっともっと、勉強していい成績を取り、お母さんがやっていたようなお手伝いをできるよう頑張る。というのがチビさんの夢です。

 

 

家庭教師(元私立高校教師)からの報告ですと、「飲み込みが早く、勉強を楽しんでやっている。教え甲斐がとてもある。」とのことです。

 

 

公立の小学校に通っていましたので、英語があまり話せませんでした。

しかし、家庭教師をつけて6ヶ月経った今、とても綺麗な発音で英語を話せるようになりました。

 

 

今後の彼女についてですが。

 

1、幅ひろく学問に触れさせる。

東大さんが、数学、物理、化学、生物などを教えていく。

 

2、ひきこもりから回復し、こちらの大学でプログラミングを学んでいる者からプログラミングを学ばせてみる。

 

3、私たちが持っている資源 ボランテイア活動、サーフイン、就労体験、日本の支援者の方との交流

 

 

彼女の様子を見ながら彼女のペースに合わせて行きます。

そういえば、日本語を学びたいと言っていましたので、日本語教師の資格を持っている東大さんに教えてもらいましょう。

 

 

どうかこれからの彼女の成長を一緒に見守っていだけませんか。

またご支援の輪の中に加わってください。

 

 

どうぞよろしくお願いします。

 

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父は不思議な人なんです。テル

 

 

僕は父親が嫌いではないです。

僕に対して多くのことはしてくれなかった父親だけれど・・・。

それでも、自分のたった1人の父親だから、無視はできないのです。

 

 

母と僕とでは父親に対する気持ちは違うと思います。

母はまあ、もう父親のことは諦めていますね。

パートナーが普通に求めることを父親には、もう要求しないと言っていました。

「結局、私はお母さんだったんだよ。」って、最近はそう言っていますね。

 

 

もう少し父親のことに関して書くことで、僕の頭の中を整理したいのです。

どうかお付き合いください。

 

 

父親に関して1番記憶にあることが、靴を履く場面です。

右と左の区別がよくわからないみたいです。

だから、左右逆に履いたりしていました。

 

 

一度、右と左を何度も交換して履いていた後で、最終的にスリッパを履いたのです。

そして、そのまま玄関から出て行ったので、「お母さん、お父さんスリッパ履いて会社に行くよ。」とお母さんに報告したんです。

そしたら父親が「バカにするな。試し履きしただけだろ!!」と僕に怒りました。

 

 

 

後にも先にも父親から怒られたのはこの時だけです。

 

 

 

あと、よく服を間違って着ています。

Tシャツとポロシャツと下着です。

表と裏を間違えて着ていることが多いです。

 

 

前後の間違いは、数回程度確認しています。

前後、裏表も何度かありましたね。

 

 

僕も試しに間違えて着てみたのですが、違和感があるのですぐに気づきそうなものだと思うのですが・・・。

 

 

車の免許は持っていません。

大学入学時に自動車学校に通っていたのですが、他の人たちのようにうまくできず、教官から怒られてばかりで、嫌になってやめてしまったそうです。

 

 

自転車も乗れないと言っていました。

 

 

見た目は、くそ真面目な感じです。

父親の髪型のスタイルは七三わけでした。

毎日同じ髪型でそれを崩したくないと言っていました。

 

 

少し前から髪の毛が薄くなってきましたので、後ろから髪の毛を前に持ってこようとしている姿を何度か見かけました。

父親は人の目を気にするのかと不思議でした。

 

 

体の動きは、東大さんやエイジさんの柔らかな動作とは違い、硬い感じです。

東大さんたちほど、動作に関しては違和感は感じません。

 

 

父親に関して思い返してみて、書けることはこの程度です。

あとは特別に何もないですね。

 

 

 

 

僕は父親に対して、特別に問題を感じてはいません。

なぜなら、こんな父親の姿しか見てないからです。

世の中の父親も僕と同じ父親なんだと長年思っていましたから。

 

 

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フィリピンの女性たちを支援することで。

2022年看護師になったフィリピン女性。私たちは5年間の支援をおこないました

 

 

私たちはフィリピンの貧困家庭の子どもの支援や成人女性たちの支援をフィリピンでおこなっています。

貧困や暴力の中に置かれることで希望を失った彼女たちです。

 

 

彼女たちの側には、日本から希望を探しにきた青年たちがいるのです。

常日頃、彼らは彼女たちの様子を見ています。

その中から、日本人の青年たちが、励ましをもらているのです。

 

 

 

それは、一方的な支援ではなく、ウィン、ウィンな関係なのです。

 

 

 

自分がどう頑張っても、自分だけでその過酷な環境を変えることが困難な人たちです。

 

 

その彼女たちが、心が癒され、経済的に独立し幸せな人生を送れるまでが私たちの支援なのです。

 

 

小さな働きですが、フィリピンでの16年間の支援で30名近くの人たちを社会に戻すことができています。

全てが皆様からいただくご支援で成り立っています。

 

 

今回は新しく支援を開始したアンジェロさん(仮名)の事をご紹介します。

アンジェロさんは、25歳になります。

 

 

 

お母さんは心の病気で彼女が小さいときに家を出て行ったそうです。

お父さんがいますが、病気で寝たり起きたりの生活で、仕事もできずに、近隣の人たちからのヘルプで生活しているので、お父さんとも別に住んでいました。

 

 

 

そんな家庭環境でしたから、彼女は幼少期から愛情に飢えていたのでしょうか、言い寄ってきた男性に騙されて、搾取されていました。

彼女を保護した支援団体からの要請がありました。

 

 

『男性からの度重なる暴力から逃れる事、そして傷ついたからだと心が癒やされ、彼女が自立するために支援』をして欲しいとの依頼でした。

 

 

昨年の8月に、暴力を受けていた男性から逃れる為に、緊急避難として、飛行機で数時間かかる場所に移動させ、支援を開始しました。また、自立のための就労練習も開始しました。

 

 

当初は、私たちの支援に対して涙を流して感謝していた彼女でした。

本当によく働いてくれました。

 

エイジさんのお世話をしてくれました。

 

 

しかし、彼女は以前暴力をふるわれ逃げてきた男性と連絡を取っていたのです。

あれほどひどい暴力を受けていたのに!!

 

 

彼女の心の飢餓は、他者からのアテンションを求め続けているのです。

あの1年間はなんだったのかと落胆しました。

 

 

また振り出しに戻ってしまった気がします。

どれだけ信じれば良いのでしょうか?

私たちが試されています。

 

 

 

しかし、ここで彼女を見放てるのではなく、さらに関わりを深め、アンジェロさんの支援を続けることにしました。

今は、その男性との関係も絶ち、わたしたちと共に働いています。

 

 

支援するわたしたちとアンジェロさんのためにどうか皆様のお力をください。

これから、詳細なご報告を発信していきますので、よろしくお願いします。

 

 

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60歳からの幸せさがし。タカシです。

     幸せってその気になって探せば、色々と見つかるもんだね

 

 

皆様こんにちは

初めましての方、どうぞよろしくお願いします。

〈60歳からの幸せさがし〉のタカシです。

 

 

 

私は、62歳。日本人。

訳あって、今フィリピンに住んでいます。

フィリピンでも最も南部に位置する場所にいます。

あちらこちらに住んでみて、その後最も住みやすい場所を決めるつもりです。

 

 

 

みなさん、フィリピンと聞いてどんなイメージを持ちますか?

ベタな質問ですね。

 

 

バナナ、スラム街、台風発生の場所。

お父さん世代は、フィリピンパブでしょうか?

 

 

僕は・・・・。

何もないです。

特別に何もないですね。

 

 

あえて言うならば・・・。

 

 

食事はまずい。

サービスという言葉がない。

やたらゴキブリを見る。

 

 

悪いイメージしかないですね。

だったら、なんでフィリピンにいるんだ?と思う皆様。

良い質問です。

 

 

 

答えは・・・。

私が感じるたった一つの良いこと。

それは・・・・。

 

 

おいおいお話しさせていただくことにします。

 

 

私は日本に住めなかった人間です。

それでも幸せになりたくて、この国に住んでいます。

そんな私の〈幸せさがし〉にどうかお付き合いください。

 

 

2月1日からYouTubeで配信を開始します。

今のところ、週1回の配信を予定しています。

 

 

 

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シャルガオ島就労支援施設 2月22日オープン!! テル

1月13日金曜日 シャルガオ行き全便欠航 カウンターで手続きをしに行く人たち

 

 

 

♪〜 「シャルガオはー 今日も雨だあったぁぁぁぁぁ。」

 

 

昔の演歌で「長崎は今日も雨だった。」という曲の替え歌を日本人スタッフが歌っていました。

もちろん、みんなこの天気に辟易しているのですよ。

 

 

ありえない。

フィリピン全土を巨大な低気圧の雲が覆っています。

しかも天気図を拡大してみますと、次から次へと低気圧が順番待ちをしています。

 

 

 

この様子では1月一杯は雨です。

シャルガオ島に到着する飛行機便は、週末は満席に近いのですが、平日は2、3割程度です。

 

 

ですから、オープンを2月22日にしました。

行政からは、「観光地の真正面に位置するのだから、1日も早くオープンしてください。」と言われているのですが、お客さんいませんからね。

 

 

 

停電続きで、営業なんてできませんよ。

 

 

 

1月3日に僕の友人とその家族がセブ市にやってきました。

1月1日にフィリピン空港全体が停電となって、その振替便できたのです。

宿泊先は、5スターホテルです。

 

 

と言っても、フィリピン版5スターホテルです。

青木さんは、ひきこもっていたり、不登校の子どもたちの支援をフィリピンでしています。

 

 

特に不安が強い人たちには、最初にゆったりと楽しい時間を過ごさせてあげたいとの思いから、5スターホテルの宿泊をご家族に勧めています。

 

 

で、青木さん自身はフィリピンでの支援生活16年で、このホテルに数多く滞在しているそうで、僕を通して友達家族に色々とアドバイスをしてくれました。

 

 

朝食はオープン時間に行くしかない。

終わりがけに行くと、凄まじい光景を目にするからやめた方が良い。

日本と友好的でない国の人たちが8割程度宿泊していて、西洋人はほとんど見かけない。

食事はブッフェ形式で、見た目は豪華で種類が豊富だけれど、味は日本での中級ホテル並み。

 

 

マナーがとても悪いので驚くと思うが、決して注意してはいけない。

テルマンに言っても、どうしようもない。

 

 

ホテル内はとてもゆったりできる。

テニスコートもある。

マッサージの値段はとても高いが、それだけの価値はないという声がほとんど。

 

 

ホテル内のビーチは、ホワイトビーチで常に清掃が行き届いていて綺麗。

マリンスポーツは、日本人スタッフがいてとても親切なので心配ない。

 

 

などなど。

 

 

友達家族はとても感謝してくれていました。

またご好意で僕も1泊させてもらいました。

とても豪華なホテルで良かったですよ。

ほぼ、青木さんの言う通りでした!!

 

 

セブ市内での料理は・・・・。

あとセブ市で他に何か見るべきものがあるかというと・・・・。

 

 

それでも、ご家族は僕と会えて嬉しかったと言ってくれました。

僕は彼とセブ市の英語学校で知り合ったのです。

いつも彼は1人でいたので、気軽に声をかけて知り合いました。

 

 

彼は彼で、色々と悩んでいることがありました。

僕が昔、小、中と学校に行けなかったと知って驚いていました。

「今の僕からは想像できない」ってよく言っていましたね。

 

 

お互い励まし合う仲間でした。

今、彼は大手の企業で働いています。

10年勤めたら、海外での転職を目指すらしいです。

 

 

僕にとってのメンターの様な彼です。

会えて嬉しかった。

そしてわざわざ来てくださったご家族にも感謝です。

 

 

いかん、泣けてきた。

 

 

では失礼します。

 

 

 

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