発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

今年の回復目標 ポンコツな私ガンバレ!!

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支援者の吉村さんです。私の写真は少ないです。2019年シャルガオ 島の夕焼け



将来的にどう自立していくかが私の課題です。

昔は、このまま寝たり起きたりの生活で一生過ごすのかなと悲観的でした。

しかし、今は、自分の力で稼ぎ、自分1人で生きていけないかと模索するまでになりました。

 

 

もちろん、現実は理想とはほど遠いのです。
でもゆっくりでも理想に近づけるように頑張りたいのが今の私です。

 

 

1番大きな私の課題は体力の回復です。

私は自分の体調について、まだ自分でもうまくわかっていないのです。

とても調子がよくて、色々なことができる時もあるのです。

 

 

でも、はたから見たら、理解できないと思うほど、寝込んでしまうこともいまだにあるのです。

 

 

日常生活を送るためにも、体調を落ち着かせなけれければなりません。

英語を始めるにも体調を落ち着かせないと無理なのです。

 

 

その体調を落ち着かせるためにどうすれば良いのか?

私の葛藤はまだ続いています。

 

 

ただ、フィリピンと日本を比べたら、圧倒的にフィリピンの方が体調が良かったです。

それは、日本の情報が入ってこなかったり、気候が安定していることも私には良かったです。

 

 

日本にいると、目から耳から、否応無く日本語で情報が入ってくるのです。

それらに気を取られてしまい、混乱してしまう私がいるのです。

 

 

と言いましても、フィリピンに今すぐ帰れるわけではありません。

年内は日本に滞在することになると思います。

 

 

日本にいる間に、基本的な生活スキルの確立と体力の回復目指して頑張っていきます。

 

 

これからも応援をよろしくお願いします。

 

 

 

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発達障害の子どもは成長する。可能性は無限大 程度の悪いアスペな俺。

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この時間がこのままずーっと続けば良いのに。たくさんの幸せをありがとう!!2017




小・中と不登校で、ひどいいじめを受けていた俺です。

友達なんか1人もいやしなかった。

俺にはいじめられる理由があったんだ。

鈍臭い。バカ。運動音痴。小汚い。クソデブ。コミニュケーション・ブレイクダウン。

 

 

みんなと違いがあってもそれでいじめて良いという理由にはならない。

しかし、人は異質な者を見つけ出して排除しようとする。

特に島国であった日本人にはその傾向が強いと思う。

 

 

子どもの俺にとっては、家庭や学校が社会そのものでした。

その社会に所属することができなかったわけだから、俺には希望がなかった。

 

 

児童相談所から、病院で診てもらった方が良いと勧められて行った3つの病院。

「IQ75で、アスペルガーADHDの傾向を持っています。病院付属のディ・ケアーサービスを受けましょう。」と勧められて通っていたが、つまらないので行かなくなった。

 

 

そして、おきまりの暴力への道を突き進んだ。

将来的には、裏社会の人たちにお世話になるしかないとも考えていた。

 

 

そんな俺が、大学を卒業したなんて、昔の俺を知る人には信じられないはずです。

5年かかりましたが、卒業できたのです。

16才で2桁の足し算引き算が満足にできなかった俺がです。

 

 

 

「努力は決して裏切らない。」となんかで見た言葉があるけれど、本当にそうなんだと思いました。

自分でもこの5年間で、大きく変わったことは実感としてあった。

 

 

1、落ち着き始めた。(わめきちらさなくなった)

2、すぐにダメだと諦めなくなった。(なんでもすぐに投げ出してしまう俺だった)

3、みんなと一緒にいる時間を楽しめるようになった。

(独りよがりの俺が周りの人の会話をちゃんと聞いて、それにふさわしい話題を出せるようになった。)

 

 

やはり周りとコミニュケーションが取れるようになったことが1番の大きな成果だと俺は思います。

 

 

程度の悪いアスペルガーな僕たちにとって1番辛いことは、みんなの輪の中に居られないということです。

 

 

関わる人たちから、おかしな奴とレッテルを貼られて除け者にされてしまう。

除け者にされた俺は俺で、除け者にした奴らを逆恨みするという悪循環が延々と続いていく。

 

 

そんな状況の中から、違うステージに連れて行ってくれたスタッフに感謝している。

人生を楽しめるようになったのだから。

 

 

 

卒業してからツアーガイドの会社に入社した俺。

はい。

程度の悪いアスペな俺は失敗しまくり、そして辞めました。

大学と実社会はまた違うということがよくわかりました。

 

 

それで、俺にはインターンが必要だと感じて、色々な職場に話を聞きに行った。

次が決まるまでこの団体で再びお世話になったのです。

この団体では大学に関する調査と大学入学を希望する学生のアシストです。

 

 

で、何を思ったのか。

また、大学に行きたくなった俺です。

2回目はもっと落ち着いて勉強ができるはずだと思ったのです。

 

 

それで、日本から来て、フィリピンの大学に入学した学生の補助も兼ねて大学に入学した俺です。

大学に行きながらの、インターンをしようと決めたのです。

 

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2018年 入学した大学の前で ダバオ市にて


しかし!!

ここで彼女から横槍が!!

 そして話は、5月6日のブログ記事に繋がるのです。

 

みなさまお元気ですか?程度の悪いアスペな俺」」

http://smilehousejapan.hatenablog.com/entry/2020/05/06/100513

 

次回からは、渾身の力を込めて、僕みたいな程度の悪いアスペルガーなお子さんをお持ちのお母様にストレートに僕の意見を書いていきます。

 

 

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つまり、過去の話をもう一度整理して、未来に向かって歩いていきたい俺なんです

 

 

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大切なことは全て大学5年間で学んだ。程度の悪いアスペな俺

 

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とにかく暇があったらボランティアをやらされた。おかげで地域から表彰された

 

 

大学生活の5年間はとてもとても濃い5年間だった。

(大学が好きすぎて5年もいました。)

とてもハードな5年間でもあった。

とにかく、色々なことをやらされた。

 

 

当時はスタッフにやらされていたと思っていた。

卒業してだいぶたってから、自分の為に色々とプログラムを組んでくれたのだとわかるようになった。

 

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講演会で支援を訴え、フィリピンに帰りボランティアそして講演会の繰り返し


 

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大学の行事には全て参加させてもらった。生きていることがこんなにも楽しいなんて!!
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日本食堂のマネージャー、焼き鳥屋の手伝い、ダイビング免許

 

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お母様方からの相談にのったらドラゴンボールのフィギュアが来た

大学の行事に参加する度、周りとのコミニュケーションで失敗する俺。

すぐに何が問題だったのかをスタッフと話し合う。

そして、次からはこのようにすると良いと教えてもらう。

 

 

また、失敗する。

そして、話し合い。

次にはこのようにすることと指導が入る。

 

 

何百回とそのような作業が繰り返された大学4年間。

いや、留年したから5年間だ。

 

 

おかげさまで、俺はこの5年間で社会で生きていく上でのイロハを身につけた。

徹底的に失敗して、そしてそこから学ぶ。

失敗しないと学ぶことができない俺たちなのです。

 

 

でも失敗しても、側にいて丁寧に気づきを教えてくれる人がいないと進歩はないですよ。

 

 

この団体はフィリピンで学校に行くことを保護者に勧めています。

それは、大学生活の中で支援ができるからなのです。

言い換えると、大学生活の中でしか効果的な支援はできないのです。

座学では身につけることが苦手な僕たちだからです。

 

 

 

それを身を持って体験した僕ですよ。

 

 

 

おまけに、大学最終学年では成績が上位になったのです!!

ですから、喜びを体で表した僕です。

 

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ウッホー!!飛び上がれ俺。高く、高く 成績表を手に飛び上がるオレ 2017年ダバオ市にて

 

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お金がないから大学進学諦めろだって!!程度の悪いアスペな俺

 

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インターナショナルハイスクールを卒業しました!!程度の悪いアスペな俺がですよ!!

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スタッフから「同級生に追い付きたいなら、同級生の4倍勉強しなさい。」と言われた俺


 

 

高校入学時に試験を何科目か受けた。

その結果高校通学は1年間で良いと判断してもらった。

つまり成績が良かったということだ。

 

 

 

日本で支援を受けているときに数年に渡り、家庭教師に暴言を吐きながら、ときには暴力を出しながらも続けた勉強の成果が出たのだ。

 

 

高校では初めての友達ができた。

海外では日本のアニメやゲームが大人気なので、日本人である俺の周りにはいつも人だかりができていた。

 

 

しかも、アニメやゲームといえば、俺ですよ。

自慢じゃないがオンラインゲームの世界では、ちっとは名前が知れた俺です。

まあ、後で日本から来た大統領というニックネームの奴には負けたけど。

 

 

 

で、高校生活はこれにて一件落着卒業した。

青木さんたちも満足していた。

 

 

 

で、俺は大学で勉強することにした。

流石に、青木さんたちスタッフは、賛成してくれなかった。

あの当時、青木さんたちは、障害者枠で俺を日本で就職させようと考えていたんだ。

 

 

流石に、まだ4年間毎日の支援をするということは、不可能に近かったからね。

お金の問題やスタッフの問題など解決しなければならないことは山ほどあった。

 

 

俺に、勉強支援と大学生活内での支援をしなければならないのだ。

今まで以上に大変な状況になる。

しかも、親からは、「お金がないので大学にはやらせられない。」との返事が来た。

 

 

青木さんたちは色々と考えたんだ。

そして結論は大学を卒業させるということ。

 

 

 

1、フィリピンの大学授業料は年間で10万円ほど。

 教科書なんかは中古で買えば二束三文。

 制服はスタッフがミシンで作ってくれた。

 

2、日本中を講演会で回って、自分に対する支援を集めた。

 日本への出稼ぎだ。

 

で、俺はこの団体のサポートスタツフとしても契約してもらえた。

ということで、大学に関する費用は解決して、俺は晴れて大学生になった。

 

 

みなさん、俺は小、中と不登校だったんです。

いじめられてたんですよ。

母親の財布から金を取ってこい。

CDショップから万引きしてこい。

腹が減ったから、おにぎり取ってこい。

 

 

とまあ、ひどい目にあいましたよ。

逆らえばリンチですよ。

それで、怖くなって学校にいけなくなったわけです。

 

 

それと、頭が悪かったので中学出た時も2桁の足し算引き算もろくにできなかった。

 

 

だから学校に対して良い印象なんか何もなかった。

そんな俺が高校どころか大学にも行きたいなんて、すごい変わりようでしょう。

 

 

人は変わるのです。

その機会を与えられたらね。

ここ大事なポイントです。

 

 

 

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小・中不登校の俺が海外の高校へ!!程度の悪いアスペな俺

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登校2日目。周りが話しかけてくれた!!人生初の友達もできた


 

 

 

 俺は、高校にいくと決めていた。

小・中と勉強が何もわからなかった俺がです。

 

 

でもこの団体で、先生と喧嘩をしながら、時には先生の腹にキックを入れながらも、中学までの勉強に関しては一通り終えた俺です。

 

 

 

支援をしてくれていたスタッフ達と話をしながら、高校を卒業するということに合意した俺です。

 

 

しかし・・・。

通信制では意味がないし。

日本国内の高校に通学するには、年をとりすぎてしまっている。

夜間高校は刺激が強すぎて、暗黒面に引き入れられてしまいそう。

 

 

だから・・・。

フィリピンの高校に入学することにしました。

そのために、青木さんはフィリピン中の高校を訪問し、最適な高校を選びました。

 

 

なんと、当時住んでいたマニラから、飛行機で南に2時間飛んだ未開の地、ミンダナオ島ダバオ市にあるインターナショナルハイスクール。

 

 

そこを見学しに行ったのです。

日本人は俺が初めてということでした。

当時のダバオ市は、舗装がまだ十分されていなくて、とにかく土ほこりがすごかったです。

 

 

そこへ見学しに行った時のこと。

すでに当日は新学年のオリエンテーションの日でした。

そこで、俺も教室に入りました。

そしたら、俺を見て1人の生徒が大きな声をあげたのです。

 

 

そうなのです。

俺が映画に出ていたことを知っていた生徒がいたのです。

教室中が大騒ぎです。

 

 

違うクラスにもそれが飛び火して・・・。

俺はその日、早退する羽目になりました。

 

 

実は、色々な高校に見学に行く予定を立てていたのですが、当日になって不安が強くなって行けなくなった俺です。

 

 

それで、1度見学だけで良いので学校を覗きに行こうとなったのが、ダバオのインターナショナルハイスクールでした。

 

 

そして、そこで俺を待ち受けていたのが、映画を見た生徒達だったのです。

周りも俺もパニックになってそれで早退したのです。

途中、喫茶店に立ち寄り落ち着かせてもらいました。

 

 

「俺、あの学校に行きますよ。」とスタッフに嬉しそうに言ったことを覚えています。

 

 

あの映画に出たことで、みんなが俺を受け入れてくれた。

もう僕は「みんなからいじめられるのでは?」という不安がなくなっていたのです。

 

 

 

ここから僕の大きな大きな成長が始まるのです。

 

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やってやる!!今までの怨念晴らさずにおくものかぁ〜

 

 

後半に続く。

 

 

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発達障害な俺、フィリピンは暮らしやすい。程度の悪いアスペな俺

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2010年 NO1女優エンジェル・ロクシンと入国審査官役で映画で共演

 

 

 

 

 

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09-10年 研修会・車校・ボランティアなど。ホームヘルパー2級も取ったな

 

ある日、青木さんから真面目な話があると言われた。

てっきり、クビを言い渡されると思っていた。

「ヒロさんは、日本よりフィリピンで生活していく方が楽な気持ちでいられると思うけれど、どう思いますか。」と聞かれた。

 

 

数回のフィリピン訪問で俺もそれを感じていた。

フィリピンでは、日本にいて感じる〈圧〉のようなものを感じなかった。

 

 

それと、フィリピンでは、誰も俺のことを知らないから、他人の目を意識しなくて良いと思ったので、もう一度やり直すには最適な場所だと感じていた。

 

 

問題は、ゲームができなくなることだ。

俺はその当時、〈ゲーム廃人〉と呼ばれていた。

ゲーマーでご飯を食べていけないかと考えていたほどゲームが好きだった。

 

 

そんな迷いも持ちながら、俺は3回目のフィリピン旅行に出た。

そして、1年近くそのままフィリピンに居ついてしまったのだ。

 

 

フィリピンは最高です。

僕みたいな日本でうまく生活できない発達障害の人はフィリピンでの生活を考えても良いですね。

 

 

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フィリピンで生活する上での問題は英語です。通知表1の俺ですからねえ〜



フィリピン滞在中のある日、俺は意を決して、青木さんに自分の考えを打ち明けた。

 

 

「俺を留置してほしい。毎日を英語漬けにして欲しい。今、やらないと、俺は一生クズ人間のままだ。」

 

 

そうして俺は、日本語を一切耳にしないまま1年を過ごした。

1日12時間の英語漬け。

 

 

1年後、シャバの空気を吸った俺。

もはや昔の俺ではなかったのだ。

フィリピン人よりも英語がうまい日本人になってしまったのだ。

 

 

ハハハハハ。

凄いことだ!!

 

 

2010年の10月頃、俺は青木さんが探してきたフィリピンの映画のオーデションを受けることになった。

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この映画フィリピンで大ヒットして、アメリカでも短期間ですが公開されました

 

100人近くのオーデションの結果、セリフがある3人に最終的に選ばれたのだ。

 

 

この映画出演が、あとで思わぬ良い効果を発揮するのです。

それは、また明日!!

 

 

今日の一言。

 

 

「俺みたいな大変な子ほど、良質な体験を与えること!!

                    BY ヒロ」

 

 

 

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ボランティアで知った自分の可能性。程度の悪いアスペな俺

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いざ、フィリピンへ

 

 

 

 

 

 

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09年9月オンドイという名前の台風がフィリピンに大きな被害を与えた

 

僕たちは毎月おこなっているボランテイアをする為に、台風がくる前日にたまたま貧困地区近くのホテルに宿を取った。

その晩は大変な風と雨が僕らのホテルを襲った。

 

 

翌朝、外は大変なことになっていた。

市の中心部に通じる道路は遮断されていて、貧困地区の住民は身動きが取れない状態だった。

僕たちはとにかく安全を確認して、被災地に入った。

 

 

 

道路が遮断されている為に、他の救援団体は被災地に近づくことができない。

僕たちだけが被災地にいる唯一の支援団体だった。

 

 

空から、テレビ局のヘリが降りてきて、僕たちはテレビのインタビューを受けた。

僕たちが用意した食品ならびに中古の衣服は500セット。

そこに5000人の被災した人たちが押しかけてきたから、大変なことになっていた。

 

 

支援物資の奪い合い。

 

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緑色の帽子が俺です。殺到した被災者を前になすすべもなく立ち尽くす俺たち

 

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違う場所に移動してボランティアをおこなった

すごい経験をした。

俺の頭の中は、数日間混乱したままだった。

 

 

帰国後、俺は青木さんに言った。

「あの人たちの為になんかしなくていいんですか!!」

 

言い出した俺が、義援金や物資を集めるべく全国を廻ることになった。

 

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フィリピンの特産物を販売したりして義援金を作った
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一心不乱にボランティアをした。金にならないのに俺が人助けをするなんて

 

 

 

すごい出会いがあった。

家が流されて、着るものもない子どもが俺の前に現れた。

俺は子どもに服を手渡した。

そしたら、その子どもが俺の手を握って離さない。

 

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本当に驚いた。

 

 

気持ちが悪くなった。

「なんだよ」と言ったら、フィリピンの言葉でなんか言った。

スタッフが「ありがとう」という意味だよ。と教えてくれた。

 

 

俺はその晩泣いてしまった。

いい加減な気持ちでボランテイアに参加したから。

もっと真面目にならないといけないと、あの子どもからそう教わった気がした。

 

 

この出会いは今考えると、俺の人生を変えてしまったくらい大きかった。

 

 

フィリピンにありがとうを言いたい。

 

 

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