小・中と不登校で、ひどいいじめを受けていた俺です。
友達なんか1人もいやしなかった。
俺にはいじめられる理由があったんだ。
鈍臭い。バカ。運動音痴。小汚い。クソデブ。コミニュケーション・ブレイクダウン。
みんなと違いがあってもそれでいじめて良いという理由にはならない。
しかし、人は異質な者を見つけ出して排除しようとする。
特に島国であった日本人にはその傾向が強いと思う。
子どもの俺にとっては、家庭や学校が社会そのものでした。
その社会に所属することができなかったわけだから、俺には希望がなかった。
児童相談所から、病院で診てもらった方が良いと勧められて行った3つの病院。
「IQ75で、アスペルガーとADHDの傾向を持っています。病院付属のディ・ケアーサービスを受けましょう。」と勧められて通っていたが、つまらないので行かなくなった。
そして、おきまりの暴力への道を突き進んだ。
将来的には、裏社会の人たちにお世話になるしかないとも考えていた。
そんな俺が、大学を卒業したなんて、昔の俺を知る人には信じられないはずです。
5年かかりましたが、卒業できたのです。
16才で2桁の足し算引き算が満足にできなかった俺がです。
「努力は決して裏切らない。」となんかで見た言葉があるけれど、本当にそうなんだと思いました。
自分でもこの5年間で、大きく変わったことは実感としてあった。
1、落ち着き始めた。(わめきちらさなくなった)
2、すぐにダメだと諦めなくなった。(なんでもすぐに投げ出してしまう俺だった)
3、みんなと一緒にいる時間を楽しめるようになった。
(独りよがりの俺が周りの人の会話をちゃんと聞いて、それにふさわしい話題を出せるようになった。)
やはり周りとコミニュケーションが取れるようになったことが1番の大きな成果だと俺は思います。
程度の悪いアスペルガーな僕たちにとって1番辛いことは、みんなの輪の中に居られないということです。
関わる人たちから、おかしな奴とレッテルを貼られて除け者にされてしまう。
除け者にされた俺は俺で、除け者にした奴らを逆恨みするという悪循環が延々と続いていく。
そんな状況の中から、違うステージに連れて行ってくれたスタッフに感謝している。
人生を楽しめるようになったのだから。
卒業してからツアーガイドの会社に入社した俺。
はい。
程度の悪いアスペな俺は失敗しまくり、そして辞めました。
大学と実社会はまた違うということがよくわかりました。
それで、俺にはインターンが必要だと感じて、色々な職場に話を聞きに行った。
次が決まるまでこの団体で再びお世話になったのです。
この団体では大学に関する調査と大学入学を希望する学生のアシストです。
で、何を思ったのか。
また、大学に行きたくなった俺です。
2回目はもっと落ち着いて勉強ができるはずだと思ったのです。
それで、日本から来て、フィリピンの大学に入学した学生の補助も兼ねて大学に入学した俺です。
大学に行きながらの、インターンをしようと決めたのです。
しかし!!
ここで彼女から横槍が!!
そして話は、5月6日のブログ記事に繋がるのです。
http://smilehousejapan.hatenablog.com/entry/2020/05/06/100513
次回からは、渾身の力を込めて、僕みたいな程度の悪いアスペルガーなお子さんをお持ちのお母様にストレートに僕の意見を書いていきます。
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