発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

程度の悪いアスペルガーな俺は生まれ変わった。ヒロ 

f:id:smilehousejapan:20180426065845p:plain




 

 

僕は29歳。

僕は小学校と中学校にほとんど行っていない。

どうしてかというと、ひどくいじめられたから。

 

 

ほんのちょとのいじめではなくて、殴られ、蹴られ、金をむしり取られた。

友達はひとりもいない。

 

 

被った被害ということでは、青木さんの右に出る人はいないと思います。

 

 

いじめられて死にかけた人ですから。

小学校3年の時に後頭部を彫刻刀で切りつけられた人。

 

 

後頭部だから良かったのでしょうか。

入院は数日で良かったそうです。

 

 

小学校4年。

アレルギーで、顔が紫色に変色するのを面白がった生徒たちからのいじめで、発作が起きて気を失い、心拍数が以上に下がり、救急車が小学校に呼ばれた。

数日間で退院したものの、処置が遅れていたらどうなったかわからなかった。

 

 

とにかくひどいいじめだ。

おいらも、カッターで切りつけられたのが一番痛かった。

あとは顔をトイレの便器につけられたりとか、真っ裸にされて、廊下に放置。

 

 

脱がされた服はトイレの便器の中につけられた。

すかさず俺は保健室に逃げ込んで、ベッドに潜り込んだ。

 

 

いろんなことがありましたわな。

小学校、中学校。

 

 

でもおいらは学校が好きでしたよ。

だって面白いもん。

そして給食も楽しかったな。

 

 

でもそれも我慢の限界がきてしまい、あえなく不登校

その後は人生くだり坂。

警察のご厄介にまでなってしまった。

 

 

家族はもう一緒に住めないということで、おいらだけ家を出されて、サポートセンターがおいらの終の住処となったんだ。

 

 

それからまあ支援を受け続けて、おいらは成長していくことになる。

二桁の足し算、引き算ができなかった俺。

日本語がうまく喋れなかった俺。

ひらがなとかカタカナが恐ろしく下手な俺。

 

 

今考えたら、やっぱおいらみたいな程度の悪いアスペルガーが日本で生きていくことは大変だったんですよね。

 

 

で。

そんなおいらは手厚い支援を受けて、インターナショナルハイスクールを卒業。

そして、そして4年生大学までも出させてもらった。

 

 

 

これらはサポートセンターの奇跡と言われている。

 

 

で。

青木さんに電話した。

「青木さん、俺、なんか生まれ変わったような気がします。」

「そんな感じしませんか。」

 

 

「えっ!?」

「変わった宗教に入信したとか?」

「・・・・・・」

 

 

あかんな、この人。

スペースなくなりましたんでまた明日。

 

 

  下記バーナーのクリックを2つ押してください。

ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村 ←こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

          1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。