発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

この幸せをあなたにも。テル

フィリピンの思い出が消え掛かっていることを感じます。

 

 

あと1ヶ月ちょっとで、2023年も終わりますね。

少し早いですが、皆さんに取ってはどんな1年でしたでしょうか?

 

 

僕に取っては新しいスタートの1年でした。

僕は、6年前に日本から逃げる様な形で、フィリピンに行きました。

フィリピンに6年近く滞在して元気と自信と希望を獲得した僕です。

 

 

そして嫌な思い出しかなかった日本でもう1度チャレンジする決心をしたのです。

それは僕に取って大きな一歩でした。

 

 

僕は日本から逃げ出しました。

そうでもしないと、再びやり直すことができなかったからです。

日本では他人の目が気になって仕方がありませんでした。

 

 

ここフィリピンでは、僕が小学校から登校できずに22歳まで家でじっとしていたなんていう過去を誰も知らないのです。

だから、人の目を気にしなくてやり直せたわけです。

 

 

ここフィリピンで大学に通い卒業しました。

残念ながらフィリピンの大学のレベルは日本の大学と比べても劣ります。

それでも僕に取ってはちゃんと4年間通い続けて卒業できたのです。

それがとても大きな自信になりました。

 

 

大学を卒業しただけではなく、友達ができました。

フィリピンの大学は日本と比べて、年齢にばらつきがあります。

それで、僕でもとけこむことができたのです。

 

 

日本で22歳から大学一年になるのはとても難しいことです。

1番の困難さは、どこの高校を出たのとかいう過去のことを詮索されることです。

小学校から通えず、中学も高校もなんていうと、多くの人は引いてしまうでしょうね。

 

 

そんな変な人たちが周りにはいないからです。

 

 

だから、自分の過去のことを誰も知らない場所だからやり直せたのです。

フィリピンの大学では、周りの人たちも僕に気を遣うことはありませんでした。

なぜなら色々な国の人たちが大学に通っているからです。

 

 

(だからといって国際交流なんていうほどではないですからね。僕の大学に通っていた外国人は中国人、台湾人、韓国人、インド人、アメリカ人、インドネシア人ぐらいでしたから。)

 

 

フィリピンでは国際交流ができるから、教育移住のメリットがあります。

なんてどこの学校のことを言っているんだ!!

いい加減なことを言っている人たちがいるので頭に来ています。(大勢の外国人が通っているインターナショナルハイスクールがマニラにあります。しかし、授業料はとても高くて青木さんたちがお世話している人で通う決心をした人は誰もいません。)

 

 

 

友だちどころか彼女までできて、今もその彼女と同居しているわけです。

しかも同じ会社に努めているし。

毎朝、一緒に通勤して、一緒に帰宅しているわけです。

これ以上の幸せはありません。

 

 

今は会社の仕事が楽しいです。

もちろん厳しさもあって大変ですけれど、やっぱり小学校から行けなかった僕ですから、家から出て通勤できている喜びを人一倍感じています。

 

 

こんな幸せを他の人にも味わって欲しいです。

やり直してみませんか?

もう遅いと諦める必要はありません。

50代、60代でも頑張って社会復帰しようとしている人たちがいるのですから。

 

 

一歩踏み出す決心をすれば、あとは支援者の人たちが、優しく丁寧にゴールまで導いてくれますよ。

 

 

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