英語学校で入学の手続きをしたエイジさん2019年10月
エイジさんは、フィリピンの病院で診察を受けてASDと診断されました。
僕は医者じゃないので、ASDじゃないのかASDなのかと診断することはできません。
青木さんの様に長きに渡って発達障害と診断された人たちの支援をしてきたわけでもありません。
エイジさんに対して本格的に支援を開始したのは、昨年からだそうです。
10年近く関わりは持っていた青木さんですが、週に2日だけの支援が長く続いたそうです。
なぜそうなったのかというと、ご家庭からの指示がその様だったらしいです。
どういう意図があっての週2日の支援だったのかは僕は知りません。
ただ、自動車でいうところのアイドリングがえらく長く続いたんですよ。
青木さんによれば、昔の車はエンジンをかけてから、すぐに発進させずにエンジンが暖まるまで待たないといけなかったらしいです。
青木さんは、エイジさんもそんな状況だったと言っていました。
長い年月、ゆっくりと支援をしてきたことがよかったのか?
それともエイジさんの貴重な時間を無駄にしてしまっただけなのか?
今となってはどうでも良いことなのですが・・・。
青木さんにとっては、少しでも早く本格的な支援をしたかったらしいです。
なぜなら時間がとてもかかるからです。
常識の欠如、変な癖、人に対する不安の強さ、自信をなくしきってしまったことなどなど。
そんな状態からエイジさんを引き上げなければならないわけですから、それはそれはとても時間のかかることだったんでしょうね。
エイジさんは成長しているのです。
僕が1番最初にエイジさんに出会ったのは、2019年の12月でした。
エイジさんがセブ市の英語学校に通っていた時です。
翌年の3月にコロナ対策の為に戒厳令の様なものがセブ市にひかれて、外出禁止という大変な状況になったのです。
その時、関わった僕のエイジさんに対する印象は良くはありませんでした。
僕が事前に青木さんから聞いていたエイジさんの情報は。
1、片耳が生まれた時からほぼ聞こえない。
2、チックの症状がある。
3、背中が曲がっている。
4、変な癖が多くある。
5、一般常識が著しく欠けている。
などでした。
僕が1番大変だなと思ったのはチックの症状です。
右肩が意図せずに上下に動くのです。
または右目が勝手にピクピクと大きく動くのです。
時には、奇声を発します。
「あっ」とか「ヒィィィ」「○×▲△。。。」などの言葉を僕は聞きました。
いやいや、これは大変だ。
医療の分野じゃないのかな?
その当時、そんなんふうに思った僕でした。
そして2月に彼は日本に帰国します。
再びエイジさんにお会いしたのは、2年後の2月でした。
2年ぶりに会ったエイジさんは、僕が覚えていた以前のエイジさんではありませんでした。
変わっていたのです。
とてもとても変わっていて僕は驚いてしまいました。
また明日。
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