発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

独りになって不安が強くなりました。A回復日記20210103

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私は年末年始、実家に帰っていました。

父親の認知症が進みましたので、私を認知してくれる最後の年末年始だと思い実家に帰省しました。

 

 

父の状況はよくなかったです。

私のことを思い出したり、忘れたり・・・。

父親の前では涙は見せたくなかったので、あえて父親とは顔を合わせませんでした。

 

 

 

親不孝な私を許してください。

寝る前に両親の寝室に向かって手を合わせました。

 

 

 

私は寒いのが苦手です。

小さい時から、よく病気をしました。

だから今は、回復プログラムの外出しなければならない部分は、3月第2週までおやすみとなっています。

 

 

 

「気のせい」とか「精神的なもんだ」とか昔から色々言われてきたのがとても辛いです。

支援センターのスタッフさんたちは、私のことをとてもよく理解してくれるので、それが唯一の希望です。

 

 

 

実家に帰ったら、テレビもインターネットもないので、自分の部屋で毛布にくるまって横になっていました。

そんな時に思い出すのは、小学校や中学校、高校でいじめられた記憶です。

 

 

 

私には楽しい記憶は何もありません。

いじめられて、クラスの同級生から仲間外れにされた記憶。

私はみんなと仲良く楽しくしたかっただけなのに、みんなは私を無視しました。

 

 

中学校もそうでした。

高校になったら友達ができるかなと期待しましたが、いじめはもっと酷くなりました。

お金や物を要求されたりしました。

殴られたりもしました。

 

 

ずーっといじめられていた自分という存在は、この世の中にいてはいけないのだと思うようになりました。

でも、死ぬことは怖くてできなかった。

だから、ひきこもるしか他に方法はありませんでした。

 

 

 

お正月に気持ちを切り替えたくて、自転車に乗って初詣に行きました。

でも、行かない方が良かったです。

 

 

 

たくさんの人とすれ違いました。

高校生ぐらいの人たちが仲間と楽しそうに歩いていた。

家族連れや恋人同士。

 

 

 

 

私だけが独りということが強調されてしまいました。

すぐに家に帰って自分の部屋に逃げ込みました。

毛布を被って「大丈夫。大丈夫。大丈夫。」と念仏のように唱えました。

 

 

 

明日4日に名古屋事務所に行って、正式に青木さんに回復プログラムをやめることを言います。

私を支援しても意味がないです。

その分、支援の順番を待っている人たちに希望をお譲りしたいと思っています。

 

 

 

30年間ひきこもった人間は社会になんか復帰できません。

無理です。

あまりにもハードルが高すぎます。

 

 

 

目標をもっと低くしたらとお思いですよね。

私にもプライドがまだあるんでしょうね。

そこそこみんなと同じになりたいのです。

 

 

 

でもそれが儚い夢だとわかりました。

みなさん、ありがとうございました。

 

 

 

どうか他の方達を応援してあげてください。

今まで本当にありがとうございました。

コロナにはどうか気をつけてください。