発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

程度の悪いアスペな俺だから 頑張りたいんだ。

 

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          いやあ、調理楽しいわ

 

俺は程度の悪いアスペな男だ。

IQは80支援学級に移動する様に勧められた男。

小学校から中学校まで友達はひとりもいなかった。

 

 

 

小学校から中学校までいじめの連続。

テレビで騒がれてもおかしくないほどのいじめ。

いじめというより暴力だな。

 

 

 

お金を取られた。

お金持ってこないと、カッターナイフで斬り付けられるんだ。

あれ、痛いんだよ。

 

 

 

赤信号で片道3車線の道路をわたれと命令された。

怖くて突っ立っている俺の背中めがけて飛び膝蹴りが入る。

野球部だった奴がバットで俺のすねを叩く。

 

 

本当はもっといろんないじめや暴力を受けていたんだ。

サポートセンター名古屋でお世話になりはじめの頃、青木さんに命令されて、いじめられた記憶をノートに思い出せる限り書きなさいと言われた。

 

 

 

そのノートは20冊にはなった。

今は青木さんの手元にあるはずだ。

 

 

 

 

そんな俺だからこそ、両親は俺の事を受け入れられずに力で俺を従わさせようとした。

反発し続けた俺は最後には母親に暴力を振るい3ヶ月間の入院をさせてしまった。

それが母親と会った最後の記憶。

 

 

 

あれから9年も母親に会っていない事になる。

学校の先生は担任も含めて良くしてくださいました。

スクールカウンセラーの美人なお姉さんも優しくしてくれた。

 

 

児童相談所から一度病院で見てもらったらと言われて、診断してもらったら、アスペルガーと診断されたんだ。

おまけに、かなり程度の悪いアスペルガーとの事だった。

もちろんかなり程度の悪いアスペルガーなんていう診断なんかない。

 

 

 

で、「うちではどうにもなりません。そうだ、個別でオーダーメイドの支援をしてくれる団体をご紹介しましょう。24時間寄り添っての支援です」

「そこがだめならどうなりますか」という父親の質問に、結局答えは帰ってこなかった。

 

 

 

おせわになっているサポートセンター名古屋。

俺の家。

こことの出会いがなければ、俺は日本中の誰もが知るような極悪人になっていたと思う。

 

 

 

それほど、俺の心は荒んでいた。

いつか自殺する事は計画していた。

しかし、自分だけが自殺するのは納得がいかなかったから、日本中を道連れにしてやると考えていた。

 

 

 

そんなクレイジーな俺にすべてを捧げてくれたのが代表の青木さんだ。

すべてだ。

もう一度言う、青木さんが持っているすべてをおれの為に捧げてくれたんだ。

 

 

 

時間とお金と思い。

1つ言っておく。

「はげ親父」「つるっぱげ」と青木さんの事を笑い者にしていた俺だ。

 

 

 

本心は違うんだ。

昔の事をまともに思い出して書く事ができないんだ。

それほど、俺はあの人に感謝している。

 

 

 

だからわざとあんな風に書かないと、書けない俺がいるんだ。

あんまりほめると「勘弁してくれよ、強制削除しかないのか」とつるっぱげ親父から警告が発せられるのでこの辺でやめておく。

 

 

 

 

涙が止まらない。

これ以上書けん。

ごめんなさい。

 

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