いやあ、調理楽しいわ
俺は程度の悪いアスペな男だ。
IQは80支援学級に移動する様に勧められた男。
小学校から中学校まで友達はひとりもいなかった。
小学校から中学校までいじめの連続。
テレビで騒がれてもおかしくないほどのいじめ。
いじめというより暴力だな。
お金を取られた。
お金持ってこないと、カッターナイフで斬り付けられるんだ。
あれ、痛いんだよ。
赤信号で片道3車線の道路をわたれと命令された。
怖くて突っ立っている俺の背中めがけて飛び膝蹴りが入る。
野球部だった奴がバットで俺のすねを叩く。
本当はもっといろんないじめや暴力を受けていたんだ。
サポートセンター名古屋でお世話になりはじめの頃、青木さんに命令されて、いじめられた記憶をノートに思い出せる限り書きなさいと言われた。
そのノートは20冊にはなった。
今は青木さんの手元にあるはずだ。
そんな俺だからこそ、両親は俺の事を受け入れられずに力で俺を従わさせようとした。
反発し続けた俺は最後には母親に暴力を振るい3ヶ月間の入院をさせてしまった。
それが母親と会った最後の記憶。
あれから9年も母親に会っていない事になる。
学校の先生は担任も含めて良くしてくださいました。
スクールカウンセラーの美人なお姉さんも優しくしてくれた。
児童相談所から一度病院で見てもらったらと言われて、診断してもらったら、アスペルガーと診断されたんだ。
おまけに、かなり程度の悪いアスペルガーとの事だった。
もちろんかなり程度の悪いアスペルガーなんていう診断なんかない。
で、「うちではどうにもなりません。そうだ、個別でオーダーメイドの支援をしてくれる団体をご紹介しましょう。24時間寄り添っての支援です」
「そこがだめならどうなりますか」という父親の質問に、結局答えは帰ってこなかった。
おせわになっているサポートセンター名古屋。
俺の家。
こことの出会いがなければ、俺は日本中の誰もが知るような極悪人になっていたと思う。
それほど、俺の心は荒んでいた。
いつか自殺する事は計画していた。
しかし、自分だけが自殺するのは納得がいかなかったから、日本中を道連れにしてやると考えていた。
そんなクレイジーな俺にすべてを捧げてくれたのが代表の青木さんだ。
すべてだ。
もう一度言う、青木さんが持っているすべてをおれの為に捧げてくれたんだ。
時間とお金と思い。
1つ言っておく。
「はげ親父」「つるっぱげ」と青木さんの事を笑い者にしていた俺だ。
本心は違うんだ。
昔の事をまともに思い出して書く事ができないんだ。
それほど、俺はあの人に感謝している。
だからわざとあんな風に書かないと、書けない俺がいるんだ。
あんまりほめると「勘弁してくれよ、強制削除しかないのか」とつるっぱげ親父から警告が発せられるのでこの辺でやめておく。
涙が止まらない。
これ以上書けん。
ごめんなさい。
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