発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

バード君の支援、まも無く終了。マル

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バード君は私たちが支援している青年です。

中学3年からですから、随分と長い年月支援をしています。

 

 

アスペルガーADHDと診断されている彼は、その特性から学校でそして家庭でもうまくいかずに不登校になり、家族ともコミュニケーションが取れなくなっていました。

 

 

私たちは、彼を何度も訪問し、今の状況を説明し、今後どうすれば良いかを丁寧に説明しました。

正直言いますと、彼はそのような説明を聞いて納得して、私たちの支援を受け入れたわけではありません。

 

 

青木が訪問して色々なことを一緒にしたのです。

人目を気にする彼のために、スモークが貼った車でドライブをしたり、隣町のゲームセンターでゲームをしたり、話題のスィーツを一緒に食べたりと、とにかく楽しいことを一緒にしたのです。

 

 

それで、バード君は、「このまま楽しいことをしていたい。」という思いで、私たちの支援を受ける決心をしてくれました。

その時を振り返って、彼自身がそう話してくれました。

 

 

日本で支援をしていましたが、やはり周りが気になるということで、一時的にフィリピンでの支援に切り替えました。

そうしたら、フィリピンの魅力にはまってしまい、3年間住むことになったのです。

 

 

インターナショナルハイスクールに入学しました。

世界中の友達もできました。

英語も話せるようになりました。

 

 

高卒認定試験に合格した彼は、日本の学校に進学する決心をしました。

私たちとしては、日本より海外の方がバード君に合っていると思ったのです。

 

 

しかし、彼は言いました。

「リベンジがしたい。小、中と学校に行けなかったことは今でも悔しい思いです。」

 

 

「だからちゃんと日本の学校を卒業したい。卒業したら今までの嫌な思い出を全て消し去ることができると思うんです。」

 

 

「僕は、バカじゃないし、ブタでもないし、狂人でもない!!」

それらは、彼が中学で周りの同級生達から言われ続けていた言葉です。

 

 

そんな会話を嬉しく聞く私です。

すでに自分の子育ては終了し、今は孫の世話をする年齢になりましたが、それでも目の前にいる彼が、自分の子どものように思えてきます。

 

 

そんなバード君の大きな変化を最近見させてもらいました。

明日、そのことについて書きます。

 

 

よろしくお願いします。

 

 

 

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