発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

バード君とお父さんとの和解。東大

 

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「バード君」

今は日本に戻り学校に通っているのです。

 

 

5年前に初めて僕が彼に会った時、まさかここまで変わるとは思ってはいませんでした。

 

 

ほんの少しの時間ですが、「バード君」と一緒にいたのです。

僕は勿論青木のように30年近くの支援の経験があるわけではありません。

だから、うまくサポートはできなかったのかもしれませんが。

 

 

しかし、今の彼をみてここまで人は変わるのかと驚きでしかありません。

 

 

「東大まで出ていながら30年間も部屋でじっとしていたあなたの方がワンダーだわ。」とサポートセンターのスタッフに言われた時には、正直落ち込みましたが。

 

 

僕はすでに女性となってしまった「バード君」のご両親に対して、この状況をどう説明するのかだけがとても気がかりでした。

 

 

「サポートセンターの支援で息子は出来損ないの人間に変えられてしまった。フィリピンなんかに連れて行ったからこうなったんだ。この責任はきっちりととってもらいます。」なんて絶対に言われるだろうと思っていました。

 

 

 

またそんな風に発言するだろうという昔気質なお父さんなんです。

とにかく「バード君」のことをあれやこれや否定していましたから。

僕は青木と一緒にこのご両親と面談をしたことがあるのです。

 

 

とにかくその場から抜け出したくて仕方がありませんでした。

お父さんの話を聞いていて怒りが込み上げてきたのです。

 

 

横にいる青木は目をつぶって黙ってお父さんの話を時々うなづきながら聞いていました。

顔をよく見ると閉じた目から涙が流れていました。

 

 

「で、青木さんね、あんたはどう思うんだ。わしの考えは間違っとるかね。」

散々「バード君」の悪口を言ったお父さんは一方的な自分の話が終わるとそう青木に尋ねたのです。

 

 

「7年間の支援が終わった時点で、彼が1人で生活できるまでにします。その時点で親御さんには何も迷惑をかけることもしなくなっています。」

「そうするために1つだけお願いがあります。」

 

 

「息子さんのことはしばらく忘れてもらえませんか。」

「僕たちに今のようなことを話されるのは構いません。ご両親のお話を聞くのは私たちの義務ですから。ただ息子さんにはこのような話は以後慎んでいただきます。」

 

ゆっくりと、しかしはっきりと言い放った青木の言葉はとても重みがありました。

今でもその時の様子を僕はよく覚えています。

 

 

それ以降「バード君」のお父さんの発言はありません。

そのことも「バード君」の回復に大きな効果をもたらしたとぼくは思います。

 

 

僕はバード君の父親と腹を割って話し合い、理解してもらう必要があるのではと思っていました。

しかし、今は違います。

親と子どもは簡単には理解し合えないのです。

 

 

しかしその時は必ず来るのです。

それは本人が回復し、過去を肯定的にとらえた時がその時なのです。

 

 

「バード君」にも必ずその時が訪れます。

もう間もなくだと僕は思っています。

 
 
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