13年間、毎日朝から晩まで支援を受け続けて来ました。
その中でもターニングポイントがいくつかあったわけでございます。
俺が考えるに6つの大きなポイントが自分にはあったと思うわけです。
1、働いてお金を稼げた
2、人間の異性を好きになった
3、フィリピンに行った
4、映画に出た
5、インターナショナルハイスクールに入学した
6、彼女ができた
こんな振り返り作業もこの団体ではやるんですよ。
インパクトが大きかったのは、やっぱりヤマザキパンで働いて8000円がもらえたことです。
自分にとって、とても大きな出来事だった。
しかもその日は菓子パンの試食販売で、用意したパンは3時で完売となった。
9時に売り場に入って、3時で終了。
昼食1時間とって実質5時間の働きで8000円。
たまたま、売り切れたのではなく、売り切ったのだ!!
この日のアルバイトのために、特訓がなされた。
「いらっしゃいませー。ヤマザキパンでございます。菓子パン、ただいま、3個で150円。よりどりみどり、お好きな3品でなんと150円。ご利用ください。お母さん、お母さん、菓子パン、本日とても安いんです。ご利用ください。」と2日前から朝から晩まで練習させられた。
お辞儀の仕方。
商品の手渡し。
売り場での店側に対する挨拶。
「笑って。」
鏡を持たされて、笑う練習をさせられたな。
今でもできるくらい刷り込まされた。
驚くことがあります。
当時、青木さんの支援センターには、ヤマザキパンコーナーがあって、ヤマザキパンのアルバイトの練習が支援センターでやれたのです。
全て、ヤマザキパンから備品を持ち込んで、それらしくブースをつくってやっていたのです。
俺は、小、中とほどんど行っていないんですよ。
で、いじめられ続けていた。
そんな人間が、突然褒められキャラに変身したんですよ。
ありえんでしょ。
ありえんわ。
しかも、店の担当者から「君販売にむいているね。大学生でしょ。卒業したらうちに来なよ。」と言われた。
ヤマサキパンの営業担当からも「君みたいなアルバイトが
うちに居たんだよね。いつもはどこのお店を回っているの」と予期せぬ質問が来たので、「『ナフコ』が多いですね。」と青木さんが機転を聞かして答えてくれた。
すんません、あの当時俺まだ17でした。
今から15年前までは、ヤマザキパンの店頭販売が、僕たちのような状況の悪い人たち向けの回復プログラムの1つであったのだ。
なぜに店頭菓子パン販売が良いのか?
いつか青木さんがその理由を書いてくれるだろう。
ただはっきりと言えることは、このアルバイトで俺の中に小さいけれど、確かな希望が灯ったのだ。
下記バーナーのクリックを押してください。
日本ブログ村に参加しています。
いつもご協力をありがとうこざいます。
1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。