発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

小学校に行きづらくなった時の僕のこと。授業編 ブン

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僕は小学校4年から学校にいけなくなってしまった。

学校に行けなくなった理由をお母さんに話してみても、きっとわかってもらえないと思ったから、言わなかった。

 

 

「僕はこんなふうに感じる。」とか。

そんなことを言っても「それはお前の勘違いじゃないか。」の一言で終わりにされてしまうと思ったので、言わなかった。

 

 

学校で僕が何を感じていたのかを思い出して書いてみたい。

 

 

授業の時間。

先生の話を聞いていても理解ができなかった。

今になって、小学校での出来事をスタッフと一緒になって思い返す作業をしてわかったことがある。

 

 

僕は色々な音に反応してしまうのです。

例えば、校庭で体育の授業をしている。

先生が笛を吹く。

 

 

 

「ピッ」と短い音。

「ピッピ」と警告のような音。

「ピー」何かが終わった音。

 

 

僕の気持ちがそちらに集中してしまう。

 

 

下越しに隣のクラスの音が聞こえる。

隣のクラスの担任の声を聞いて、その担任の顔を思い出す。

発表している生徒の声がする。

誰だろうと想像する僕がいる。

 

 

お昼近くになると、校舎の横にある家から準備している昼食の匂いが漂ってくる。

これはなんだろうと想像する僕がいる。

 

 

2年の時、僕は我慢ができなくて、笛の音の正体みたさに、椅子から立ち上がり校庭を眺めた。

 

 

「先生、ブンさんが席を立って外を眺めています。」と、くそまじめ女の子の足立さんが先生にチクった。

 

 

違う子どもが付け足した。

「ブンはいつも席を立って外を眺めています。」

 

 

次の授業から、僕は縄で椅子に縛られて身動きが取れなくさせられた。

それでも音がすると、外が見たくてなんとかして立ち上がろうとした。

「先生!!」と足立が邪魔をする。

 

 

 

通帳表にはこう書かれてあった。

「落ち着きがなく、授業を真面目に聴くことができません。」

 

 

僕から先生に言わせて欲しかった。

 

 

先生の話していることがわからない。

でも周りをみたら、みんなわかっているので自信を無くした。

今から思えば、わかっている振りをしていただけなのかもしれない。

 

 

1年生はなんとかなったような気がする。

でも2年生になったら何もかもが難しくなった気がした。

3年生ではもう完全に何もかもがわからなくなっていた。

 

 

そして僕は学校に行くのが怖くなってしまった。

 

 

4年生で学校行くことを諦めた。

朝から1日中ずーっとストレスが溜まる。

 

 

不安から手が震える。

みんなが僕を馬鹿にする。

 

 

もうたくさんだ。

もう十分だ。

ここから離れたい。

 

 

安心できる静かな場所で過ごしたい。

それは僕の部屋の中だった。

 

 

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