僕は小学校4年から全く学校に行っていない。
行きたかったけれど、学校が怖くて行けなくなってしまった。
何に対して怖さを持ったのか。
クラスのみんなに対して怖さを持った。
みんなが普通にできることが僕にはできなかったから。
勉強ができなかった。
授業で先生の話していることがほとんど理解できなかった。
授業で先生が生徒に説明します。
「それでは、始めてください。」
「うん?何やればいいんだ。」
周りを見渡すと、みんな一斉に何かを初めています。
僕は隣の女の子に聞きました。
嫌な顔をされてこう言われた。
「先生!!ブン君が私の邪魔をします。」
「ダメじゃないか!!他人を頼らず自分でやりなさい。」と担任から言われた僕。
「先生、何をやれば良いのかわからない。」と言ったら、「どうして先生の話をちゃんと聞いていないの。」と怒られた。
先生から注意されていた僕に、遠くの席の生徒が「先生、何をやれば良いのかわからない。」と僕の声真似をした。
それを聞いた他の生徒がみんなで笑った。
そのことで、僕はもう学校をやめようと決心した。
これ以上ここにいては、僕は頭が変になってしまう。
ずたずたにされてしまう。
授業がわからない。
友達もいない。
どうせまた、家に連絡するんだろな。
もういいよ。もういいんだ。おしまいにしたい。
泣いてしまった。
それで、保健室に行った。
「先生、頭が痛いので家に帰りたい。」と保健室の先生に言った。
少したって、担任が来て僕の顔を見て言った、「お母さんに迎えに来てもらうようにしたから。」
その言葉が事務的に感じた。
その日が僕の日本での公教育の最後の場面です。
「死にたい。」と思っていました。
だって、みんなが行く学校に僕は行けなくなってしまったから。
学校に行けないのは僕だけだから。(実際は違うクラスにも保健室登校の人がいたらしいです。)
僕だけみんなと違っている。
僕は僕なりに一生懸命努力しました。
でも、みんなとうまくやっていけなかった。
そんな奴は生きていてはいけないんだ。
生産性のない僕が死ぬことが人類にとっては一番良い選択なのだ。
死ぬことを考え始めました。
クラスのみんなが日曜日に遊びに行くのに、僕は1度も誘われなかった。
みんなから、無視をされるということがどれだけ辛いことか。
僕がそこに存在すらしてないように振る舞われた。
その時のことを思い返すと、今でも涙が出る。
誰も、僕のことなんか・・・。
今僕は大学に通っている。
勉強はとても大変です。
でも、助けてくれる同じクラスの生徒がいるんです。
フィリピン人はみんなとても優しいです。
「日本人だからわからなくて当然だよ。
わからなかったら、恥ずかしがらずになんでも聞いてよ。」
みんな、みんな、とっても優しい。
今はとても満足している僕です。
自信もサポートセンターにつけてもらった。
でも。
それでも、僕はあの時もっと頑張って小学校を最後まで通って、卒業できなかったのかと思い返す。
本当は、卒業したかった。
今でもあの時の記憶がはっきりと蘇る。
僕以外、誰もそんなことは覚えていないだろうに。
長い時間、僕の心の時計はあの時を刻んだまま、止まってしまっていた。
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