失敗に次ぐ失敗。
打ちのめされた小さな僕の自信。
フィリピンで頑張ったあの日々を否定するまでに、自信を失った僕です。
でもスタッフさんたちは、そんな僕を普通に接してくれました。
家族のように、仲間のように日々接してくれていました。
それが唯一の僕の安定剤だった。
アルバイトを中断していた僕です。
その間、保健所さんとの打ち合わせや教育委員会に必要な書類を持って行ったりという団体の仕事をもらいました。
毎日、毎日、東海3県を歩き回りました。
時には、東京やフィリピン、台湾まで仕事で行かさせてもらいました。
このことは僕にとって、とても大きな出来事でした。
失っていた自信を取り戻すことができたのです。
そして、僕は再びアルバイトにリベンジしたのです。
今までの失敗したケースをもう一度、スタッフとともに復習しました。
スタッフがアルバイト先の上司に扮して、僕との掛け合いです。
遅刻した時の報告。
説明を受けてもわからなかった時には、どうすれば良いのか。
朝、アルバイトに行く間際に、財布が見当たらなかった時にはどうすれば良いのか。
色々なケースを想定して、僕とスタッフさんとの即興での練習です。
程度の悪いアスペルガーな僕には、とても良い練習でした。
昔ほど頻繁には練習はしていないけれど、今でも練習は続いているのです。
自分に合った仕事とは何だろうと考えた時に、1人で完結できる仕事という結論が出ました。
そして、僕は1人でできるアルバイトを探したのです。
登録先の人に何度も説明をして、僕に合う仕事を回してもらうことに成功しました。
僕がうまくできた仕事は、弁当の製造工場のような仕事でした。
食材を加工する仕事です。
それを1人でやるのです。
とても楽しくやれました。
1人で黙々とやる仕事は僕の天職です。
その仕事をやる日数も増えてきました。
アルバイト先のおばさんたちが、とても優しくしてくれました。
年末年始は、おせちを作るのです。
年末年始も2週間連続で入れました。
職場も同じ工場内ですけれど、変わっていきました。
それでも僕は皆さんから、褒められていたのです。
そのアルバイトは、僕が学校に行きだしてからも続けました。
そして昨年末。
いつものように20日からアルバイトに入りました。
24日はデートでしたから、最初に24日だけは休まさせてくださいと申し込んでいました。
何も問題なくやっていました。
ところが、問題発生です。
29日の朝、アルバイト先に行ったら、上司の人から、〈バイトリーダー〉を命じられたのです。
説明してもらいましたが、自信はありません。
それで、「僕には勤まりませんので、元の場所に戻してください。」とお願いしました。
そしたらいつもは温厚な上司が「年末の忙しい時期によ、アルバイトが無断欠勤だよ。それで困ってお前に頼んでいるんだけどよ。ガタガタガタガタ言うんじゃないよ。何年、お前はここで働いているんだ。できて当たり前だろ。さっさとヤレよ。」と暴力団のように脅かされましたので、怖くなりました。
バイトリーダーとして、責務を果たそうと頑張りました。
でも、最近の若い人たちは、とても態度が悪いですね。
僕の話すことをちゃんと聞いてくれません。
それで、僕は諦めて、彼らの分まで自分でやることにしました。
だから、お昼時間も取らずに働いていたら、上司が「何でお前は他のアルバイトを遊ばせているんだ。ちゃんと言われたことはヤレ!!」と怒鳴られました。
僕の頭の中の何かが切れた音がしました。
僕はそのまま、自分の荷物を持って家に帰りました。
もちろん、事務所によって風邪を引いて熱が出ましたので、早退させてくださいと申し出て、許可されてからの帰還です。
こうして、僕は長年親しんでいたアルバイト先にさようならを言いました。
再び、自己否定するようになった年末年始でした。
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