発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校だった僕が大学生になれたわけ。ブン

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泣いてしまった僕です。

 

 

1、たくさんの同じ年齢の子どもと一緒にいても大丈夫な様にあらかじめ慣れさせておくこと。

 

 

「慣れさせて欲しかった!!」とあの時のことを思うと、僕はいらだちます。

僕は今、大学に行けているので、なおさら小学校の時になんとかできたんじゃないかと悔やみます。

 

 

 

中には、どうやっても慣れることができない人もいるかな。

その人は、私立の少人数の学校に行くしかないのかな?

 

 

 

2、次々と指示を出されても、すぐにそれについていける様に練習させること。

集団生活では他のみんながテキパキと次の動作に移れたのに、僕はただ突っ立っていただけでした。

 

 

みんなが先生の言っていることに、素早く反応して、理解していることが驚きだった。

そして、それについていけない自分はパニックになった。

 

 

 

3、他のみんなに語るべきものを何も持っていなかった。

みんなとの会話の中に入っていけなかった。

それは、僕に話題がなかったのと会話の進め方がわからなかったから。

 

 

 

みんなは昨晩見たアニメの話やゲームの話などを楽しそうにしていた。

 

 

 

僕もアニメは見るし、ゲームもやるけれどそれを話題にしてみんなと話すことはできなかった。

 

 

 

サポートセンターに来て、スタッフと会話の練習をした。

どういう練習かというと、僕とスタッフたちがリビングにいます。

 

 

 

スタッフたちで映画の話で会話が始まります。

〈インフィニティ・ウオー〉がとても評判が良かったので昨年見に行きました。

スタッフも全員見ていたのです。

 

 

「会話をよく聞いていなさい。そして真似をしなさい。真似をし続けると、そのうちに自分でも話ができる様になるから。」とスタッフに言われていました。

 

 

それで、なんどもなんどもスタッフたちの会話を聞きました。

突然、僕に話題が振られます。

最初は黙ったままだったけれど、何十回も練習をしたら、なんとなくコツが掴めてきました。

 

 

そうしたら、今度はサブスタッフの様な人たちとの会話の練習です。

難易度が高くなります。

 

 

でも、この頃になると、コツが掴めているので、自分でも驚くくらい普通に話すことができる様になっていきます。

 

 

話題も〈映画・音楽・ファッション・ガジェット・食べ物・世界情勢・スポーツ〉などなどどんどん広がっていきます。

 

 

シリアスな場面での会話の練習もしたりしました。

〈友達から彼女に振られた話をされた時〉とか。

〈家族を失くした友達にかける言葉〉とか。

 

 

もちろん〈異性との付き合い方〉も練習してもらいました。

 

 

今、僕が楽しく毎日を過ごせているのは、色々と僕の生活全般に置いて徹底的に個別でサポートをしてくれたからだと感謝しています。

 

 

特に、会話の練習がもっとも社会復帰に貢献した練習だったと思います。

そんなに難しいことではないですよ。

 

 

小学低学年までなら、親の言うことをまだ聞くと思うので、ご家庭で、お母さんとお父さんがクラスの同級生に扮して、会話の練習をされることを僕は強力にお勧めします。

 

 

 

小学校入学時、以上のことをやっていたら、僕は楽しく小学校生活を過ごせたと思います。

 

 

まだ小学生低学年のお子さんを持つご両親は一度試してください。

 

 

中学になってしまっていても、まだ大丈夫です。

 

 

サポートセンターには50歳で人生をやり直そうとしている人が、ここフィリピンに来ているそうです。

 

 

僕の話はこれでおしまいです。

お付き合いくださりありがとうございました。

 

 

「お母さん、笑っていてくださいよ。」(BY ヒロ師匠)

 
 
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