発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

やっていけるという自信が大切 Mr.Joe

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   中華料理店の仲間に見せたら、特徴を掴んでいると好評でした。

 

 

青木さんから、僕の似顔絵を見せてもらいました。

「バンブーさん」という人が描いてくれたのです。 

 

 

バンブーさんってどんな人ですかと聞いたのですが、個人情報はあまり出せないみたいでした。

本人の承諾が必要ですからね。

 

 

 

昔から、このブログの愛読者だったとのこと。

そして、このブログに励まされたみたいです。

それでヒロさんが受けている支援を自分も受けて、社会に戻りたいと決断されたのです。

 

 

それからサポートセンターに繋がって、スタッフの支えもあり、今は自信を獲得したのです。

このイラストを描くことで自信をえたのでしょうか。

 

 

自信を得ることはとても大切なことです。

20年間ひきこもっていた僕は自信がありませんでした。

 

 

どんな自信?

みんなができるのに、自分だけができない。

自分はみんなより劣っているに違いない。

 

 

何気ない会話。集団行動。授業のスピード。

何もかもだめでしたね。

何もかも。

 

 

それで中学校が怖くなりました。

今日もだめだった。

明日もだめだろう。

 

 

中学校に行けなくなりました。

行きたくなかったわけではありません。

みんなと少しは仲良くしたかった。

 

 

それに中学校は、面白い生徒がいて、その生徒の発言や態度がとてもおかしくてみんなが笑っていて、その中に僕もいたかったです。(この気持ちは僕だけではなくて、ヒロさんも同じように書いていますよね。)

 

 

でも僕は中学校に行けなくなった。

中学に行かなくて、ハッピーになったかというと、全然ハッピーではなかったです。

 

 

糸の切れたタコのように不安定になり失速し、やがて地面に墜落しました。

30年前は、選択肢は中学校に行くという一択しかありませんでした。

行けなくなった人には何も用意はされていませんでした。

 

 

 

まあ中には「中学校には行かない。」という意思をはっきりと示して、「行かない自由はあるだろう。」と文科省と戦った人も中にはいるみたいですね。

 

 

 

僕にはひきこもるしか選択肢はなかった。

何もひきこもりたくなんかなかったのに。

それも20年間も。

 

 

20年間ひとりぼっち。

ラジオが唯一のともだち。

民放ではなくNHKラジオだけを聞くという生活。

 

 

民放では若い人たちの話題が多く出るのでいやでした。

「卒業式のシーズンになりましたね。」

「今日はクリスマスイブ、たくさんのカップルが2人だけの甘いひと時を過ごしています。」

 

 

死んでしまいたいと思っていました。

僕はこのまま一生1人でいるのかと思うと気が狂いそうでした。

 

 

「バンブー」さんは良かったね。

少しは自信がついたと感じたのかな。

自信は自分で勝ち取るものなんです。

 

 

自信を得るには何かをやって、それが他人様から認められて、初めて自信となるのです。

 

 

素敵なイラストを描いて、何人かの人から問い合わせが来たんですって?

あああああ、良かったな。

良かった。

 

 

なんか涙が出てきました。

ありがたい。

皆さんの優しさを感謝します。

 

 

 

たくさんの仲間が僕の周りで毎日必死になって、社会に戻るための練習をしています。

 

 

皆さんの周りにも、「どうしたらいいのか」と声には出さないけれど、大きな不安の中に独りでいる人たちがいます。

 

 

そんな人たちに、来年こそは良い年になるようにと願っています。

 

 

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