発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

日本でできなかったことを海外でやってみた 中学不登校のケイコ

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本の学校でうまくやり通したい。

 

 

 

私はフィリピンの学校に通って、すぐに友達ができました。

私から積極的に同級生に話かけたわけではありません。

小、中と不登校だった私ですから急には変われませんでした。

 

 

周りの同級生が超積極的に話しかけてくれたのです。

私が日本から来たということで、同級生はそのことでとても私に興味を持ってくれました。

 

 

やはり、アニメの話題が多かったですね。

私もひと一倍アニメが好きでしたから、同級生が出す話題にうなづくことができましたし、少しだけ言葉を返すこともできました。

 

 

そんなことを自宅に帰って、支援スタッフの人に報告したら、「こんなふうに会話をすれば良いんだよ。」って、その場でスタッフ同士でロールプレイをしてくれました。

そして、私も会話の練習をしました。

 

 

最初は、とても恥ずかしくて声が出ませんでした。

そんな時は、「話せなかったら、ニコニコしなさい。笑うだけでも良いんだよ。」と言ってくれたスタッフたちです。

 

 

でも私、人生で笑ったことがあまりないんです。

だから、笑い方を知らなかった。

それで、鏡の前で笑う練習をよくしていました。

 

 

スタッフたちと街に繰り出して、ウインドショッピングをしたり、おしゃれなカフェでお茶したりとか。

日本だったら、そんな場所なんか絶対に行けなかったですね。

 

 

 

「でも、ここはフィリピン。あなたのことを知っている人は誰もいないよ。どこに行っても店員さんはスマイルだよ。」とスタッフの青木さんも何度も話してくれたので、勇気を持って行くことができました。

 

 

「お店に入って、不安な気持ちになったら、合図をしてね。そしたらすぐに出るからね。私たちもあなたの様子を見ているから。何も心配ないさ。」この様に接してくれたからこそ、日本でできなかったことができるようになったんです。

 

 

すごく可愛らいしいカフェで、私がお茶していることがとても嬉しかったです。

涙が出てしまうくらい嬉しかった。

 

 

スタッフや青木さんが言ってくれたことは、「自分の時間を楽しみなさい。自分が楽しめたら、それが自信につながるんだよ。」ということです。

 

 

私は少しずつ色々な体験をして変わっていくことができたのです。

2年目が始まる頃には、随分と落ち着きが出ていました。

そして毎日が本当に楽しかったです。

 

 

でも、私はここで私なりの大きな決断をします。

日本に帰国することにしたのです。

1年と前期で授業を終えて、私は日本に帰国しました。

 

 

どうしてもやりたいことがあったのです。

これをしないと、私は不登校の過去を一生引きずっていくことになると不安でしたから。

それはもう一度日本の学校にチャレンジすることです。

 

 

 

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