反応のない訪問ほど辛いものはない。
自分のしていることが、相手には苦痛以外の何物でもないのではと考え込んでしまう。
余計なお節介とはこのことなのかもしれない。
しかも、それが1年間も続くとなると、「この状況をみて、何もお役に立てないことがわかりました。訪問支援は終了とさせていただきたいのですが。」」とさっさと依頼主のご両親に言えれば、どんなに楽だろうか。
しかし、「1年間も根気よく、何の反応もない息子に会いに来てくださったのは、あなた達しかいません。どうか私たちから希望をとらないでください。」と言われてしまいますと、訪問支援を中断することは簡単にはできません。
ご両親が「もう結構です。」と言われるその時まで、訪問支援は続くのです。
会えない。
ひきこもっている人に本当に会えないのです。
いやあ。
30年間ひきこもり、家族以外とは会えなかった僕が、会えないことに悩むこと自体なんかおかしいんですけれどね。
なぜ会えないのか?
自分の過去を見つめ直して、今まで何度かその理由をこのブログで書いてみました。
改めて今考えてみますと、「全く人馴れしていない。」とでも言いましょうか。
小、中、高、大と友達もいません。
アルバイをしたこともありません。
そして、どこかの段階で人間関係に躓いてしまっているのです。
家族とでさえ、あまり会話がないというケースも多いです。
そして、今の自分の状態が、世間から非難されるべきものだということもわかっている。
そんな人たちに、見ず知らずの人が訪問しにくる。
自分がどのような扱いを受けるのかをひきこもっている僕たちは想像できるのです。
タコ部屋に押し込まれて、朝から晩までただひたすら働く。
少しでも甘えたところがあれば、激しく叱責され、体罰や虐待もあるに違いない。
そんな支援は、誰も受けたがらないでしょう。
だから僕たちは訪問を拒否するんです。
中には、「来週から、働きに行こうとか思っていました。」や「今、公認会計士の資格に挑戦しているところです。」などの理由をつけて、親を通して断る人もいます。
もちろん「そんな話は聞いたことがないし、勉強している気配もない。」とご両親は否定するのですが。
どうしたら会えますか。
僕が青木の訪問に反応したこと自体、奇跡だったのでしょうか。
今日も悩む僕です。
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