発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 数学87点への道 ヒロ

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       すみません醤油ってどこですか

 

俺は手のつけられない少年だった。

近づくものすべてを傷つける男。

何もかも破壊する男が俺だ。

 

 

講演会で話をし終わった後必ず聞かれる質問があります。

「ヒロさんの話は私の心に届きました。」

「しかし、今目の前にいるヒロさんと数年前までのヒロさんが結びつかないのです。」

 

 

「変わったんですよ。」

この一言で済ませたいんですけどね。

なんて言えばいいんですかね。

他に思い当たりません。

 

 

あのですね。

今年で支援は9年目に入りますよ。

あの単に9年じゃないんです。

24時間支援でスタッフが多いときには4人ぐらい付いていたかな。

俺に関わってくださったボランティアの皆さんはのべ500人ぐらいはいますよ。

 

 

そしてそれはオーダメイドの個別支援なんです。

刑務所に行くしか能がない俺みたいな人間でもここまでやってもらえば変わるんでしょう。

その見本が俺っていうことなんすかね。

 

これがサポーセンター名古屋の支援なんだ。

このやろう!!

タアッー !!

けちょんけちょんにしてぐうにゅぐにゅで ポポイのポイ。

 

 

HAND CLAP !!

「♪〜 ラアー、ララララー、ララ、ラアー」

 

 

 

すみません昔のことを思い返していたら、暴れたくなってきました。

ごめんなさい。

ちょっと落ち着きましたけど。

 

俺がその凶暴性をなくしたのは支援が開始してから3年目くらいだろうか。

凶暴性をなくすと同時に気力までなくなってしまった。

そして名古屋港へジャンプしたんだ。

 

 

次に必要なのは自信をつけること。

大変だったろうな、スタッフのみなさん。

本当にね、大変だった。

 

どこから自信を付けさせていくか一生懸命考えたんだろうな。

自信をつけさせるなんてできないよ。

THE END 。

多くの支援者はそう思ったはずだ。

 

 

 

だって発達障害で名の通った先生でさえ俺を見放したんだからな。

で、サポートセンター名古屋へ押し込んだ。

 

 

いや、こんな言い方は良くないですね。

一生懸命やってくださったけれど力及ばずで、サポートセンター名古屋ならなんとかできると考えてくださったということですよ。

 

 

まあ、なんとかなったんでいいんですけれどね。

自信、自信、プライドとも言い換えられるかな。

Confidence 英語ではこういう。

Confianza スペイン語ではこういう。

PAGTITIWALA SA SARILI フィリピン語ではこういう。

 

 

やる気が全くない俺に自信をつけさせるためには小さな自信を積み重ねて大きくしていくしかない。

そう考えたスタッフが最初に考えたプログラムは外見を変えるということだった。

 

長くなりましたんで続きは明日にします。

 

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