もっとも古い写真がこれ 体重3桁
24歳かな。ちっとはマシになりましたでしょ
このブログを読んでくださっている方たちはすでにお子さんに問題が出始めてしまったご両親がほとんどだと思います。
僕はそんなご両親に僕の恥ずかしい体験を通して家族に再び笑顔が戻るようにアドバイスのようなことを書いています。
まずは自己紹介です。
ヒロ、26歳日本人です。
今はフィリピンの大学3年生で国際コミニュケーションというような学科を専攻しています。
今は来週いっぱいまでサマースクールを受講しています。
単位が取れなかったのでサマースクールを受講しています。
僕はアスペルガー症候群、ADHDと中学3年時に診断されました。
3つの病院に行きました。
最初の病院はあまり信用できませんでした。
二つ目ははっきりと、発達障害が専門ではないから違う病院に行きなさいと言われました。
3つ目の病院はとても優しい先生で、僕の父親は救われたと言っています。
そこで僕は色々なプログラムを数ヶ月受けました。
結果、衝動性をコントロールをすることが最重要課題と言われ、青少年生活就労自立サボートセンター名古屋を紹介されました。
父はまず紹介されたサポートセンター名古屋にメールで俺の状況を伝えると同時に支援ができるのかを聞ききました。
問診票のようなものに書き込んでいたり、電話でやり取りをしていました。
その上で、面談しました。
俺は頑なに会うことや、訪問されることを拒みました。
面談の結果、詳細は一ヶ月間様子を見ないとはっきりしたことは言えないが、社会に戻れるのは、住まいをサボートセンター近くにして、24時間の支援を3年程度必要とのことでした。
僕の父親は1年程度の通所でなんとかなると思っていたので、他の支援団体を探す事になりました。
最初にお寺さんに預かってもらい、精神を鍛えて、おれの怠け癖を取ることにしました。
朝のお勤めは4時くらいに起こされるので、二日目に脱走しました。
修行時着用の服装のまま、下駄で徒歩8時間かかって家に帰宅しました。
寺に入れたことを恨み、家で暴れました。
次はNPO団体です。
不登校やひきこもりの青少年の居場所です。
少し期待しました。
プレステやゲーム機が揃っていてうれしかったです。
職員の人とゲームをしたり、ギターに合わせて歌ったりしていました。
しかし、僕はその居場所に行くのが精一杯で、そこにいる青少年の人たちの中には怖くて入っていけなかったです。
結局、居場所でも別室で過ごすことになりました。
そのうち、カウンセリングを受けてみようかと言われて嫌々受けました。
僕はカウンセリングは嫌いです。
カウンセリングは僕にとってはあまり意味がないと思っているから。
うまく言えないけれど、大統領もそう感じていたんだ。
僕のようなタイプ(発達障害)の人にはカウンセリングだけでどうこうするというのはどうなんだと思うんです。
まあいいや、あんまり書くと削除されてしまう。
そのうち、優しいおばさんたちが俺の担当になった。
おばさんたちは、小学校や中学校を目の敵にしていたんだ。
いつも、いつも自分の子どもの話題をだして、その時の学校の担任や校長先生の対応に対して怒っていた。
そして、「だからあなたも大変だったでしょう。」
「学校に行かないという選択は正しかったのよ。」
「あなたは勇気ある人よ。」
そのおばはんの言うことは俺とは違う。
IQ80で内申書がオール1、小、中不登校の俺。
でも俺は学校に戻りたかったんだ。
学校を否定したことなんかないんだ!!
不登校の子どもに便乗して学校批判をするのはやめてほしい。
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