俺が見ているものは、明るい未来だ。
日本に帰ってすぐに両親に過去の暴力を謝りました。
母親が「疲れているから話は後でいいよ。お風呂に入りなさい。」と言ってくれました。
でも謝らないと落ち着けませんでした。
両親を前にして緊張しました。
特に父親は怖い顔をしていました。
青木さんとスタッフさんと何度も何度も場面設定をして、謝る練習をしました。
その時のことを思い出して、大丈夫、大丈夫と繰り返して自分を落ち着けようとしました。
それでも怖かったです。
父親が暴力的な態度に出るのが怖かった。
練習通りに謝りました。
母は泣いていました。
父親は腕組みをして下を向いていました。
学校に行かなくなったあの時の気持ちを両親に伝えたのです。
クラスのみんなとうまく付き合えない。
みんなと仲良くやっていきたかったのに、どんどん離されていくことに不安を覚えた。
そのうち自分がみんなから嫌われていると感じ始めたこと。
何から何まで気になり始めて生活のリズムまで狂ってきたこと。
両親に自分の気持ちをわかって欲しかったけど、話してもわからないと思っていた。
この問題は自分で解決しなきゃいけないことだと思っていたこと。
下を向いていた父親が言いました。
「親に話さんとわからんわな。それなのに一方的に家族に暴力を振るったんだから、お前が悪いんだ。」
「妹や弟にどれだけ迷惑をかけたのかわかっているのか」
「お母さんだって精神的におかしくなって辛くさせてしまったんだ」
「お前はそこのところをどう考えているんだ」
以前の僕なら、父親に飛びかかっていくには十分な内容です。
僕は謝っています。
それなのに昔のことを振り返ってなんの意味があるのだろうと思いました。
しかし、青木さんはこのことを十分に予測していました。
謝る練習の時も父親の態度は多分こんな風だと教えてくれていました。
そして、それはその通りでした。
だから、僕は父親のその話し方に怒ることもなく、むしろ青木さんが父親の性格まですでに把握していたことに改めて驚きました。
父親の話を最後まで聞くことができたのです。
「おとうさん、本当にごめんなさい」最後にそう言えました。
謝ったことで緊張が解けのでしょうか、熱が出て寝込んでしまいました。
もう一つ気がかりなのは妹と弟のことでした。
許してくれるのかどうか・・・・・・
青木さんから、プレゼントと手紙を添えて渡しなさいとアドバイスをもらいました。
プレゼントは母親から渡してもらいました。
翌朝風邪で寝込んでいる僕の部屋に妹たちが来てくれました。
「おにいちゃん、お土産ありがとう」と言ってくれたのです。
妹たちの表情から僕のことを受け入れてくれていることがわかりました。
良かったと思いました。
これで新しくやり直せる。
そう思ったらもっと風邪がひどくなっていきました。
昨日になってようやくご飯が食べられるまでになりました。
とにかくブログの続きをと考えていました。
でも、すでに両親に謝ってしまいましたので、そちらを先に書きました。
明日以降、僕がなぜ回復できたのかを書きたいです。
僕みたいな状況の家庭が他にもあると聞きました。
なにかお役に立てれば嬉しいです。
大統領くん、ピンチヒッターありがとう。
僕も名古屋に帰りました。
あえるかどうか・・・・・・
でもお互い明日の自分のために頑張りましょう。
僕は来春東京の大学の外国語学部に入学したいです。
大統領君は何をしていますか。
大統領くんの頑張りから大きな刺激を受けました。
ありがとう。
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