発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 母にあやまってほしい  Miss G

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私は小学校から同級生とうまくいきませんでした

大学生の時に、病院で診断を受けその原因がアスペルガー症候群だとわかったのです。

 

 

当初はその診断名に驚いてしまいましたが、インターネットで色々と調べるうちに、アスペルガー症候群ということよりも、周りの人たちが、そのことを知り、適切な対応をとれるかどうかが一番大きな問題だということがわかりました。

 

 

 

残念ながら、私の母はそのことについては知りませんでした。

全て、私の考え方や性格に欠点があると決めつけ、責め続けました。

 

 

もちろん私も、母の言う通りにしていましたが、どんなに頑張っても自分にはできないことがたくさんあって、母が言うところの頑張ると言うことが、できなくなりました。

その結果、自分をひどく否定してしまう人間になってしまったのです。

 

 

 

高校の頃からリストカットを繰り返しました。

夏になっても半袖になる事はもう一生できません。

 

 

狭い家の中で、母と私は一日中いがみ合い、ののしり合っていました。

今考えると、お互いに相手の事を考えていたはずなのに、いつのまにか

お互いが傷つけ合っていました。

 

 

 

母も私も疲れきっていました。

 

 

インターネットで青少年生活就労自立サポートセンターさんの事を知りました。

そこで、ヒロさんの話を聞きました。

私の生い立ちと似ているところがあり、夢中でテープに耳を傾けました。

 

 

特に母との確執のところは、自分の過去を見ているようでとても苦しかったです。

しかし、ヒロさんはお母様を許す事ができたのです。

 

 

 

ごめんなさい、私はヒロさんや大統領さんのように、母を許す事はできていません。

それどころか、憎しみつづけたい。

母を憎しみ続ける事で、何とか冷静さを保っているのです。

 

 

わかっています。

それが自分を苦しみ続けている事を。

でもたった一言でいいのです、

母からの謝罪が欲しいのです。

 

 

「あなたは何でも、私に責任をなすり付ける」

「あなたの努力が足りなかったので、あなたの人生はこのようになってしまった。」

「あの人(父親)からどんな仕打ちをうけてきたか、誰も私の事を考えてはくれなかった。あなたまで、私をそのように見ている。私は結婚すべきではなかった。子どもなんか生むべきではなかった」

 

 

 

家族の事を考えると苦しいのです。

これ以上は書けません。

読んでいただいて嫌な思いをさせてしまつてごめんなさい。

 

 

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