発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

他者に責任転嫁するより自分が変わった方が早いし楽です。ヒロ

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「ただいま当機は、離陸許可書を待っております。

今しばらくお待ちください。」

と、青木さんの携帯から飛行機の機内アナウンスが聞こえた。

 

 

「青木さん、そちらは雨降っていますか?」

「降っているね。」

「じゃあ、1時間は遅れますね。」

 

 

「もっと突っ込んで話し合いましょうよ。」

 

 

断っておくが、途中から「ヒロさん、英語での会話にしよう」とツルピカから提案があった。

ここで、ツルピカの英語を再現することは避けたい。

 

 

誰だってプライドというものがあり、それを尊重したいのです。

ですから、おいらの下手くそ日本語訳で俺たちの会話を再現します。

 

 

「うーん。」と俺は唸った。

「今でしょ。今。」

「鉄は熱いうちに打て。」

 

 

「だから、今〈50代男さん〉と面と向かって話す必要があるんじゃないですか?」

「時間が経てばたつほど、諦める作業に入ってしまい、もう再び上昇するということができなくなるんでしょ。」

 

 

「俺でよければ彼と話しますよ。」

「まあ、スタッフがいいんでしょうがね」

 

 

 

『もういいです。』というのは、〈50代男さん〉の本心かな ?

 

 

「違いますね。不安が強くて怖気付いたんですよ。」

「みんなそうじゃないですか。」

「では、どのように話しかければいいのかな?」

 

 

「あのですね、もしかして、不安なのではないですか?」

「英語を一生懸命やったけど、何年やっても話せないと思っていませんか?」

「フィリピンも結局日本と同じで、誰とも関わりがもてない。とか。」

 

 

「そうしたら、次はそれとは違う理由を話しますね。」

「やらなくても良い理由を話します。」

「病気とか、家族の面倒をみないといけないとか、年だからとか。」

 

 

「で、その話題にはお付き合いしないでいいですね。」

「そう、付き合ってもらったら、もらったで〈50代男さん〉も困ってしまうよね。」

 

 

「で、しばし沈黙ですか。」

「そうだな、沈黙するな。」

 

 

「結局思うんですけれど、『背中を押してもらいたい。』じゃないですか。」

「そうだろうな。」

 

 

「『僕、大丈夫ですかね。』の再確認ですよね。」

「僕もそう思うな。」

 

 

「30年ですからね。」

「俺が生まれる前からひきこもり。」

「家族以外とは誰とも会ってもいない。」

 

 

 

「信じられないですよ。30年間部屋に閉じこもっていたなんて。」

 

 

「はあ〜。」

「なんで?」

「どうして?の世界ですよね。」

 

 

 

「ため息ついても意味がないので、これでいいですよね。」

「うーん。」

 

 

「あんまり長く待たせると、余計不安になりますよ。」

「あれを言った方が良いかな。ヒロさんどう思う?」

 

 

「あなたが諦めない限り、僕たちは24時間365日、あなたが自立できるまでより添い続けます。」って言った方が良いだろうな。

 

 

「それは、僕が言っても説得力ないですよ。」

「そうだな。」

「青木さんが日本に帰ってきてからにしましょう。」

「それまでに前向きになってくれれば良いのですが。」

 

 

「青木さんと話がしたいといいだされるとは思います。」

「フライトは2時間ですよね。」

「機内アナウンスは間も無く離陸と言っていますね。」

 

「では今から3時間後なら繋がると思いますと言っておきます。」

 

 

そう言って俺は電話を切った。

最近のインターネット通信は素晴らしいな。

すぐ近くで話しているように聞こえるから。

 

 

さて、決戦の時は来た。

いつものお願いいたします。

 

www.youtube.com

 

それでは隣室に行ってまいります。

 

 

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30年間ひきこもった50代男さん、諦めたって。もういいんだって。ヒロ

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ギーガッチャン。

タイムレコーダーが時を刻んだ。

そして彼は後ろを振り向いて、僕たちに頭を下げた。

 

 

〈50代男さん〉が日々の仕事を終えて帰宅するのだ。

玄関先で「50代男さん」をお見送りしたスタッフと俺。

 

 

 

彼は俺たちを見ずに、視線を落としたまま小さな声で何かを話した。

「あの・・・・・・」

消え入るような声だった。

 

 

「どうされたの」とスタッフが聞く。

「・・・・・・」

しばし沈黙。

 

 

「今まで色々とお世話になりました。今日で最後にしたいと思います。」

「・・・・・・」

泣いていて言葉にならない。

 

 

これが慟哭というのか。

確か、工藤静香が歌っていたな。

 

 

「聞けよ。いやよ。聞けよ」このくだりがなんか好きだった。

 

 

そんなことに思いを巡らせていたら、スタッフに腕を掴まれて言われた。

「ちよっとスタバに行って、コーヒー フラペチーノ買ってきて。」

 

 

「スタッフ全員分ですか?」

「あのう、一応他のスタッフの好みも聞いた方が良いと思いますよ。」

 

 

「こちらで勝手にこうだと決めつけるのは、いくらスタッフだからといても、サポートセンターの流儀に反しているのではないでしょうか?」

 

 

 

「はっ?」

 

 

 

「う?」

 

 

 

「なんか俺間違った事言いましたか?」

 

 

 

「いいわ、お留守番していてちょうだい。」

「私が買いに行くわ。」

 

 

 

「俺は、抹茶 クリーム フラペチーノで。ホイップ多めで。」

 

 

「はっ!?」

 

 

スタッフはスナイパーのような目をしていた。

 

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あとで教えてもらってわかった。

これが、これがていどの悪いアスペな俺の「KY」でございます。

 

 

フッー。

♩〜「どうしたんだ。hey hey baby バッテリーはビンビンだぜ」

清志郎が俺に歌いかけてきた。

 

 

そうだ、ツルピカ丼に聞くんだ。

解決方法を。

 

 

「もしもし、青木さんですか。緊急事態発生です。〈50代男さん〉、やめるって泣きながらい言っています。どうすれば良いですか、指示をください。」

 

 

「スタッフのAさんですか、なんかスタバのなんとかが飲みたいらしくて、スタバに行きましたよ。それで俺がお留守番です。」

 

 

「はい、はい。わかりました。青木さんもっとゆっくりと言ってください、覚えるために書いているんですから!!」

「あの、今青木さんと、教えてもらった会話のやり取りの練習をしてもいいですか」

 

 

 

「あ、そうですか今から飛行機に乗るんですね。では機内でお願いします。」

「あなたも、俺がちゃんと話せるかどうか心配でしょ。今から2時間結果がどうかとやきもきするより練習しましょう。」

 

 

 

そうツルピカを説得して俺は練習をした。

 

 

50代男さんの一大事。

俺は救世主だ。

彼の手をしっかりと握り、一気に地獄の底から引き上げてやる。

 

 

気を解放しろ!!

鼻息荒く、俺は隣の部屋に突撃した。

 

 

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僕だけでなく、東大生には発達障害が多いかもしれない。 東大

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   英語学校で入校手続きをしている僕です。2013年

 

 

小学校の時は友達がたくさんいました。

彼らと、釣りをしたり、野山を駆け回っていた記憶があります。

 

 

中学、高校と進むに連れて友達の数は減っていきます。

友達といっても、色々なことを話し合えるような間柄でもなかったので、そのような関係を友達と呼んでいいのか迷いますが。

 

 

大学ではいませんでした。

でも孤独は感じませんでした。

なぜだろう?

 

 

今になって思うのですが、友達と楽しく過ごしたという経験がないので、友達がいる喜びを知らなかったのだと思います。

 

 

いなければいなくて結構。

多分。

 

 

また、僕自身好きな音楽の事や博物館、歴史の事に1人で思いを巡らせているだけで幸せでもありました。

 

 

 

自分は大勢の人の中にいることがとても苦手でもありました。

必要がない限り他者と交流することはありませんでした。

大学の授業が終わると一目散に家に帰っていましたね。

 

 

 

アルバイトは経験がありませんでした。

アルバイトをしようとも思ったことはありません。

なんだか面倒くさいと思っていましたから。

 

 

 

あの時代、多くの若い人たちはお金を貯めて、中古でもいいので車を買う夢を持っていました。

車を買って、彼女を助手席に乗せたい。

 

 

雑誌の記事のタイトルによく使われていましたね。

「彼女が助手席に乗りたくなる車はこれだ!!」

 

 

 

僕も「ホットドッグプレス」や「ポパイ」などの若者に人気の雑誌を時々、生協で立ち読みしたりしていました。

 

 

一応、世間と僕がどれだけずれているのかを確かめておきたいと感じたからです。

今だまだ見ぬ世界を覗きたかったという気持ちも強かったです。

 

 

「女の子にもてる本」「もてる男に大変身する本」

確か、こんなタイトルが表紙をよく飾ってありましたね。

こんな僕でも女性には関心がありましたから。

 

 

しかし、特集の中身を見ても、気持ちが落ち込むだけです。

結局いつも手にとってはパラパラと捲るだけでした。

 

 

生協に比べて都内の本屋で立ち読みすることはとても敷居が高かったのです。

僕には自信がありませんでした。

 

 

服装、髪型、体型(身長がとても低いのです)、全てにおいていけていない僕です。

 

 

そんな僕が、今時の若者雑誌を読んでいるのを他の誰かが「あんないけていない人が、なんとかしたいって思って読んでいるんだ。」と僕の事を思っているに違いないと想像して怖くなるからです。

 

 

 

その点、東大の生協は安心です。

僕みたいな、いや、僕以上ににおかしな格好の人が普通にキャンパスに溢れていましたから。

 

 

今思うんです。

東大生には発達障害の人が多いかもしれないってね。

 

 

 

まあそんな感じの大学生活でした。

 

 

 

今になって思います。

なんとも侘しい青春時代。

はあ、今から戻ってやり直せるならば、やり直したいですね。

 

 

57歳の僕がそう思うのです。

ひきこもって時間を無駄にしないで欲しいです。

 

 

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東大卒30年間のひきこもり今57歳。でも希望を持っています。東大

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   2013年52歳でフィリピンの大学に入学。前にいるのは20歳前後の学生たち。

 

 

今の僕は物事を客観的に見ることができ始めています。

どこまでそれが増えて行くのかはわかりませんが。

 

 

それで考えることは昔の自分と今の自分の違いです。

もし、大学院の研究室がそんなにその分野で注目されていなかったならばどうだっただろうか。

 

 

入社した会社で配属された部署にいる人たちがとても優しかったならば。

 

 

結婚は世話好きな親戚が勧めてくれた人と結婚し、一男一女を設ける。

子どもが小さい頃は、動物園や、東京ディズニーランドに頑張って連れて行っていただろう。

 

 

子どもも成長し、今なら30代前後になっているはずだ。

2人の子どもたちはすでに家族を持っていて、僕には孫もいる。

たまの休日には娘や息子たちが僕の家に孫たちを連れて会いにきてくれる。

 

 

僕は今57歳。

子育てと仕事をやり遂げて、悠悠自適な生活を送っているはずだ。

 

 

そんな人生を送っているかもしれない。

 

 

さて、これからの僕の人生。

僕が残りの時間で作り上げて行く人生。

正直悪くはないと思っている。

 

 

今まで書いてきた人生と比べても、今から作り出す人生の方が僕には嬉しい。

なぜだろう。

 

 

本当の自分に巡り会えた気がするから。

何も知らずに、ただ目の前に敷かれたレールの上をゴール目指して進んで行く人生。

そんな人生は送りたくもない。

 

 

今のこの人生は僕が僕の手で掴み取ったものだ。

そしてこれからも、主人公の僕が舵を切るのだ。

 

 

東大を卒業したのに。

しかも大学院まで終了したのに。

30年間ひきこもった。

 

 

そして今57歳。

 

 

多くの人は「かわいそうに」と思ってくださる。

もちろん同情してくださるのだ。

 

 

しかし、僕に同情は無用なのです。

今、この時、実はとても充実しています。

生かされていることに感謝するとともに、残りの人生を悔いなく過ごしていくぞ。

 

 

さあ、これから、僕の人生を楽しんでやる。

恋愛だってバンバンするぞ!!

失恋したって「次行け!!次だ!!」

 

 

そんな気持ちを持ち続けているのです。

 

 

 

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努力は決して裏切らない 東大

 

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          5年前の痩せていたヒロさん。

 

 

ヒロさんはとても忙しくしていて、ブログを書くことさえできなくなっています。

 

 

彼の願いはブログを止めないということなので、僕が変わりに書いているということです。

 

 

今日は彼のことを少し書きたいです。

 

 

ヒロさんと出会ったのは5年前です。

僕が初めてフィリピンに行った時、彼が色々と僕のお世話をしてくれたのです。

 

 

後でヒロさんが状況の良くないアスペルガーだということを聞きました。

 

 

それを聞いてもにわかには信じられないほど、色々と丁寧に僕のお世話をしてくれたのです。

 

 

しかし、彼との共同生活が始まってからは、彼の苦悩をまじかに見ることになります。

 

 

と言いましても、正直僕は自分のことで頭がいっぱいでそんなにヒロさんのことはよく覚えていないのです。

 

 

 

 そんな中でも、特に印象が強かったのが、「数学で泣いた話」です。

 

 

彼も書いていますが、小、中と不登校でした。

 

 

勉強に強い苦手意識を持っていたヒロさんですが、お母様は懇切丁寧にヒロさんに手とり足取りで、数学を教えていきました。

 

 

しかし、彼の言葉を借りれば「何がわからないのかさえわからなかった。」とのことです。

 

 

そんなヒロさんが因数分解をお母様から教えてもらっていた時、わからない度合いがいきなり上がったそうです。

 

 

それで、とうとう厳しく教えていたお母様に対しての暴力がこの時に始まったと話してくれました。

 

 

何もかもがうまく行かない中で、勉強を教えてもらえば、教えてもらうほどに、イライラがましていき、とうとう、我慢できなくなったのです。

 

 

 

因数分解」という言葉は、できない自分を思い出させる嫌な言葉だと彼はよく言っていました。

独り言のようによく話していました。

 

 

そんなヒロさんがある日の大学の数学の試験で満点をとったのです。

その日、僕が通っている大学から自宅に帰るなり「東大さん、今時間ありますか」と唐突に聞いてきたヒロさんです。

 

 

そして、いきなり「これ。みてください」と一枚の紙をぼくの目の前に突き出しました。

そこには100いう数字と彼の名前が書かれていました。

 

 

 

答案用紙です。

答案用紙から視線をヒロさんに向けると彼は泣いていました。

 

 

「努力は決して裏切らないんだ!!」

「俺はバカじゃないんだ。やれば出来る子どもなんだよ。」

「やったんだ。俺はやった。ゴミでもクズでもない。」

「俺は、俺だ!!!!」

 

 

 

と言葉を吐き捨てると、拳で机をなんどもなんども叩いていました。

 

 

そして、外に走りだしていきました。

その日彼が部屋に帰ってきたのは、日付が変わってからでした。

 

 

「頭の中が、いっぱいで、歩き続けないと、発狂しそうなので、落ち着くまで帰れません。」と彼がちゃんとスタッフにメールを送ったことを書いておきます。

 

 

「努力は決して裏切らない」と叫んで泣いたヒロさんの情熱に圧倒された僕です。

 

 

「僕もあんなふうに泣けるほど感動してみたい。」

その時、彼の姿に触れた僕が、その長い眠りから目覚めた気がします。

 

 

あの光景は今でも忘れられません。

今、あなたにお礼を言いたいです。

「ありがとうございます。ヒロさん」

 

 

 

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変わることに不安を覚えていた僕。東大

 

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 5年前フィリピンのホテルにチッエクイン。キョトンとしてしている僕。

 

 

特訓。

僕はそう感じていました。

 

 

30年ひきこもっていた僕にはそれはとても過酷なものでした。

年齢は50代でしたが、中身は小学生レベルでした。

 

 

それを実年齢まで引き上げるのです。

期間は5年程度。

 

 

それ以前に、まずは気持ちを引き上げないといけません。

つまり、やる気を出すようにさせるのです。

 

 

30年間ひきこもっていた僕です。

30年間、家族以外誰ともあっていない僕です。

それほど不安が強くなっていた僕の気持ちを変える。

 

 

それも色々なことにチャレンジするまでにあげるのです。

30年間ですよ。

30年間。

 

 

そんな人をわずか5年でなんとかするなんて、僕には考えられませんね。

 

 

「どうして支援期間を10年とかに設定しないのですか」と青木に聞きました。

 

 

「当事者が10年間も我慢できないでしょう。」

「長くみても、5年で当事者にはっきりと変わったと思ってもらわないといけないんですよ。」

 

 

「そんなものなのですね。」

 

 

「では、僕はサポートセンターから見て、当初の予定どうりだったんでしょうか。」

 

「計画以上の回復をもたらしていると僕たちは見ています。」

 

 

「計画と結果の1番の因果関係はなんでしょうか。」

「それは色々な要因がありますね。」

「あなたのように学ぶ力がとてもあることは、回復に際して大きな効果がありましたね。」

 

 

 

「変わろうと決断することは、当事者にとってみれば、とても難しいことです。」

 

 

「散々、希望を無くしてきた人です。それこそ気力をふり絞って、もう一度頑張ろうと決断しても、結果がダメだったらと考えてしまうのです。」

 

 

「もう一度、頑張ってもダメだったということがはっきりすれば、それは当事者にとって死刑宣告に近いものがあるんじゃないですか。」

 

 

「だったら、やらないという選択にしたら、いつかはなんとかなるという希望を持ち続けることができるじゃないですか。」

 

 

「だから、僕たちが必死に環境を調整しても、やらないという選択をしてしまうのですよ。」

 

 

青木のこの見方は、とてもよくわかりました。

というより、僕自身がそうだったのです。

やらないで良いという理由をいつも考えていた僕です。

 

 

 

フィリピンに移住を決意しても、なかなか素直に周りのスタッフのアドバイスに耳を傾けなかった僕です。

 

 

そんな僕が変わっていくのです。

そのことを書いていきたいです。

その先に僕の婚活が待っているのです。

 

 

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ひきこもり30年元東大生の婚活日誌1 東大

 

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 フィリピン到着早々30年間ひきこもった僕が孤児院訪問です2013年

 

 

僕と私。

やはり昔のことを思い出して書いたりするのですから、「僕」を使った方がいいですね。

 

 

僕がサポートセンターで教えてもらったことは数多くあります。

 

 

その中で、特に印象に残っているのは「人生は楽しんでいいんだ。」ということです。

別に「人生を楽しんではいけない。」などとは思ってはいませんでした。

 

 

けれど、「人生を楽しむ。」ということまで考えたこともありませんでした。

 

 

 

どういうことかというと、「みんなが進むままに自分もその進路を進んでいった。」ということです。

 

 

 

たとえば、「この成績なら◯◯高校に進学できますよ。」と担任の先生に言われたまま、◯◯高校に進学しました。

 

 

「この成績なら『東大』に受かります。」と言われて東大に進学しました。

何か夢があったわけではありません。

 

 

みんなが就職するものなので、ぼくも就職と思っていました。

 

 

当時の東大生の人気企業といえば「東レ」「味の素」「旭化成」でしたね。

先輩の多くがこれらの企業に入っていましたので、僕も同じように「どれかに入れば良いか。」と考えていました。

 

 

「働いて、結婚して、家族を持つ。」

みんながそうするので、僕もそうするのだと思ってはいましたが、実感が湧かなかったです。

 

 

というより(なんだか大変だな。)言い換えれば(めんどくさいな。)とも感じていました。

何に対してめんどくさいかといえば、会社でいえば「上司との付き合い」です。

 

 

どうして「上司との付き合いがめんどくさい」と感じたのかと言いますと、今考えますと、その当時は付き合い方が全くわからなかったからです。

 

 

数学や物理の問題を解くのとは違い、僕にはその問題「上司との付き合い方」をどのようにして解いていくのかが全くもってわからなかったのです。

 

 

また、その問題に対して、誰に聞けば良いのかもわかりませんでした。

同じように「恋愛」や「結婚」もどのようにすれば良いのか、何もわかりませんでした。

 

 

当時の僕は「東大生」という肩書きだけの人間でした。

これといった趣味もありません。

ただ、勉強していることが唯一の楽しみでした。

 

 

 

そして30年間のひきこもり。

30年たち、青木と出会った時の僕は、世間の常識がわからないまま、50代を迎えていた男でした。

 

 

それから青木から、僕への特訓が始まるのです。

 

 

6年後の今、その特訓の成果が少しずつ現れてきたと感じる今日この頃です。

 

 

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