発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ひきこもり30年元東大生の婚活日誌1 東大

 

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 フィリピン到着早々30年間ひきこもった僕が孤児院訪問です2013年

 

 

僕と私。

やはり昔のことを思い出して書いたりするのですから、「僕」を使った方がいいですね。

 

 

僕がサポートセンターで教えてもらったことは数多くあります。

 

 

その中で、特に印象に残っているのは「人生は楽しんでいいんだ。」ということです。

別に「人生を楽しんではいけない。」などとは思ってはいませんでした。

 

 

けれど、「人生を楽しむ。」ということまで考えたこともありませんでした。

 

 

 

どういうことかというと、「みんなが進むままに自分もその進路を進んでいった。」ということです。

 

 

 

たとえば、「この成績なら◯◯高校に進学できますよ。」と担任の先生に言われたまま、◯◯高校に進学しました。

 

 

「この成績なら『東大』に受かります。」と言われて東大に進学しました。

何か夢があったわけではありません。

 

 

みんなが就職するものなので、ぼくも就職と思っていました。

 

 

当時の東大生の人気企業といえば「東レ」「味の素」「旭化成」でしたね。

先輩の多くがこれらの企業に入っていましたので、僕も同じように「どれかに入れば良いか。」と考えていました。

 

 

「働いて、結婚して、家族を持つ。」

みんながそうするので、僕もそうするのだと思ってはいましたが、実感が湧かなかったです。

 

 

というより(なんだか大変だな。)言い換えれば(めんどくさいな。)とも感じていました。

何に対してめんどくさいかといえば、会社でいえば「上司との付き合い」です。

 

 

どうして「上司との付き合いがめんどくさい」と感じたのかと言いますと、今考えますと、その当時は付き合い方が全くわからなかったからです。

 

 

数学や物理の問題を解くのとは違い、僕にはその問題「上司との付き合い方」をどのようにして解いていくのかが全くもってわからなかったのです。

 

 

また、その問題に対して、誰に聞けば良いのかもわかりませんでした。

同じように「恋愛」や「結婚」もどのようにすれば良いのか、何もわかりませんでした。

 

 

当時の僕は「東大生」という肩書きだけの人間でした。

これといった趣味もありません。

ただ、勉強していることが唯一の楽しみでした。

 

 

 

そして30年間のひきこもり。

30年たち、青木と出会った時の僕は、世間の常識がわからないまま、50代を迎えていた男でした。

 

 

それから青木から、僕への特訓が始まるのです。

 

 

6年後の今、その特訓の成果が少しずつ現れてきたと感じる今日この頃です。

 

 

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