発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

僕だけでなく、東大生には発達障害が多いかもしれない。 東大

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   英語学校で入校手続きをしている僕です。2013年

 

 

小学校の時は友達がたくさんいました。

彼らと、釣りをしたり、野山を駆け回っていた記憶があります。

 

 

中学、高校と進むに連れて友達の数は減っていきます。

友達といっても、色々なことを話し合えるような間柄でもなかったので、そのような関係を友達と呼んでいいのか迷いますが。

 

 

大学ではいませんでした。

でも孤独は感じませんでした。

なぜだろう?

 

 

今になって思うのですが、友達と楽しく過ごしたという経験がないので、友達がいる喜びを知らなかったのだと思います。

 

 

いなければいなくて結構。

多分。

 

 

また、僕自身好きな音楽の事や博物館、歴史の事に1人で思いを巡らせているだけで幸せでもありました。

 

 

 

自分は大勢の人の中にいることがとても苦手でもありました。

必要がない限り他者と交流することはありませんでした。

大学の授業が終わると一目散に家に帰っていましたね。

 

 

 

アルバイトは経験がありませんでした。

アルバイトをしようとも思ったことはありません。

なんだか面倒くさいと思っていましたから。

 

 

 

あの時代、多くの若い人たちはお金を貯めて、中古でもいいので車を買う夢を持っていました。

車を買って、彼女を助手席に乗せたい。

 

 

雑誌の記事のタイトルによく使われていましたね。

「彼女が助手席に乗りたくなる車はこれだ!!」

 

 

 

僕も「ホットドッグプレス」や「ポパイ」などの若者に人気の雑誌を時々、生協で立ち読みしたりしていました。

 

 

一応、世間と僕がどれだけずれているのかを確かめておきたいと感じたからです。

今だまだ見ぬ世界を覗きたかったという気持ちも強かったです。

 

 

「女の子にもてる本」「もてる男に大変身する本」

確か、こんなタイトルが表紙をよく飾ってありましたね。

こんな僕でも女性には関心がありましたから。

 

 

しかし、特集の中身を見ても、気持ちが落ち込むだけです。

結局いつも手にとってはパラパラと捲るだけでした。

 

 

生協に比べて都内の本屋で立ち読みすることはとても敷居が高かったのです。

僕には自信がありませんでした。

 

 

服装、髪型、体型(身長がとても低いのです)、全てにおいていけていない僕です。

 

 

そんな僕が、今時の若者雑誌を読んでいるのを他の誰かが「あんないけていない人が、なんとかしたいって思って読んでいるんだ。」と僕の事を思っているに違いないと想像して怖くなるからです。

 

 

 

その点、東大の生協は安心です。

僕みたいな、いや、僕以上ににおかしな格好の人が普通にキャンパスに溢れていましたから。

 

 

今思うんです。

東大生には発達障害の人が多いかもしれないってね。

 

 

 

まあそんな感じの大学生活でした。

 

 

 

今になって思います。

なんとも侘しい青春時代。

はあ、今から戻ってやり直せるならば、やり直したいですね。

 

 

57歳の僕がそう思うのです。

ひきこもって時間を無駄にしないで欲しいです。

 

 

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