発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

18年間ひきこもっていて毎日何を考えていたのか。ジュン

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      Mr.Joeさん幸せそうでいいですよね。
 

 

 

 

父は、ひきこもっている僕を、再び社会に戻したいと一生懸命でした。

 

 

保健所、精神科、支援団体と、あちらこちらに顔をだして、息子にとって何か良い情報はないかと駆けずり回ってくれていました。

 

 

色々なところからもらってくるチラシを、父は僕の部屋のとびらの下からいつもそっと入れてくれるのです。

そのチラシを見ていました。

 

 

どのチラシも同じような文句が書いてありました。

「就労体験を通して仕事をつかもう!!」

「まずは就労体験。その為のビジネスマナーを学びませんか。」

 

ひきこもっている人には、まずは就労体験や職場で必要なマナーなどを学ばせることが大切。

 

 

それはそれでなるほどとぼくは思いました。

 

 

 

しかし、疑問がわき起こるのです。

僕は高校を中退して10数年間ひきこもっていたわけです。

アルバイトをしたこともありません。

 

 

そんな僕の将来はどうなるのでしょうか。

どこも雇ってはくれませんよね。

わざわざ、そんな人間を雇いはしませんよ。

 

 

あなたが会社のオーナーならどうですか?

僕を雇いますか?

 

 

ビジネスは戦いですよね。

もちろん長年ひきこもっていても、同年齢以上に役に立つなら、雇ってくれる会社はあるでしょうね。

 

 

「ビジネスマナーを学んで、そして就労体験をしてその後はどうなるのか」

僕はそれを一番知りたかったですね。

 

 

高校中退して18年間ひきこもった僕でもどこかに就職できますか?

 

会社内で肩身の狭い思いはしませんか?

会社の先輩と何の話題を話せばいいのですか?

お酒が飲めないんですけれど、誘われたらどうすればいいんですか?

 

 

わからない。

僕には何もわからない。

 

 

 

正社員として何名が就職。

5年後の離職率、10年後の離職率とかが明記されていたら、僕は力を振り絞って自らその団体に電話をしたかもしれません。

 

 

僕はわかっていたんですよ。

高校を中退してしまったらアウトだったんだって。

 

 

何とか低空飛行でいいので、あのまま大学に進んでいたら、そこで起死回生ができたかもしれないのに。

 

 

まあ過去をくやんでも仕方がないのはわかっています。

しかし、ひきこもっていますと、過去のことしか考えないわけなんですよ。

考えてももっと落ち込むだけなんですけれどね。

 

 

僕は一生アルバイトでいいとは思ってはいません。

50代、60代でコンビニのレジ打ちをしている自分を想像できませんし、したくはなかった。

 

 

じゃあ、どうすればいいんだということになります。

やはり何か資格か、ビジネス上で評価される経験を積まないといけない。

そう思ってはいました。

 

 

でもどうやって?

無理でしょ。

無理だよ。

 

 

こんなことを毎日思い巡らせて、18年間もひきこもってしまったのです。

 

 

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Mr.Joeあなたが感じた違和感とはこれですか。ジュン

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記者の人は読み手の存在を考えて記事を書いていると思います。

読者が興味のないことは書かないし、書けないでしょうね。

 

 

記者は、僕やMr.Joeさん、東大さん、ヒロさんなどが抱えてきた問題を取り上げることはしないでしょう。

 

 

なぜかって?

世間はそんな細かいことに興味がないからです。

 

 

得体の知れない「社会的ひきこもり」という問題が社会に横たわっている。

しかもそれは100万人とも言われている。

その数の多さに驚き、不安を感じる人もいると思います。

 

 

読者のみなさん。

でも、もう大丈夫ですよ!!

 

 

ひきこもった人たちが運営する会社ができたそうです!!

ひきこもった人たちを積極的に採用してくれる会社があります。

 

 

こうしてどんどん「社会的ひきこもり」の問題が解決するのです。

 

 

「うん、いいね。」

「よかった。よかった。」

と、読者の人たちはホットとするのです。

 

 

一昔前ですかね。

ひきこもっている人の部屋を訪問して、大きな声で説教をして、その後自宅から寮に入れる支援者が脚光を浴びましたよね。

 

 

僕はその時、ひきこもっていましたが、部屋でテレビを見ていて、感じたことがあります。

 

 

日本全国、お茶の間でテレビを見ている人たちは、このおばさんを正義のヒーローのような感じで見ているんだろうなと。

 

 

「社会的ひきこもり」の問題を一刀両断。

はい、解決!!

 

 

お茶の間が求めているのは青木さんスタイルの支援ではなく、簡単明瞭な支援なんだ。

 

 

青木さんに僕のこの考えを言ったところ、笑っていました。

「ぼくの見方は、ずれていますか?」と聞いたところ、「なかなかよく見ている。」との返事でした。

 

 

Mr.Joeさんのブログの記事を読んで、逆になぜそんなに世間を気にするのかと僕は疑問でした。

その一方で、なぜ僕は気にならないのか。

 

 

もう少し書いておきます。

 

ひきこもりといっても、病気が原因でひきこもっている人と、そうではない人たちを「社会的ひきこもり」と区別して言います。

このことを区別しないと、今何が問題になっているのかが、分かりにくくなってしまいます。

 

 

 

またひきこもりといっても、ひきこもり気味の人と僕たちように家から全く出られずに数、十年たってしまった人たちも区別しないといけないでしょうね。

 

 

どうもMr.Joeさんが気になっている記事はそこらへんがあやふやに書かれてありますよね。

 

 

僕は思うんですよ。

自分たちと違う人たちのことも受け入れたいと思っているんですよ。

否定したくないというか。

 

 

頑張っている人たち全てにエールを送りましょうよ。

 

 

Mr.Joeさんは、これからバラ色の将来が待っているわけですから、そんなことにこだわる必要はないんじゃないかと思います。

 

 

もっと自分の将来のことに時間を使いたいと思っている僕です。

 

 

また明日。

 

 

 

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親と子どものすれ違い ジュン

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父親は同じ言葉を僕に何度も言いました。

 

 

「いつになったら真面目に将来のことを考えるんだ。」

僕は毎日毎日、どうすればいいんだとそのことばかりを考えていました。

 

「何が不満でひきこもっているんだ。」

不満があってひきこもっているのではなく、不安だらけで怖くて外に出られないだけなのです。

 

 

「小学生みたいに朝から晩までゲームばかりして。」

ゲームでもして気を紛らわせないと、気が狂いそうになったから。

 

 

誰かが言った。

「どうして親と子どもはこんなにすれ違うのか。」

 

父が口を開くたび、僕の怒りは増して行きました。

僕は部屋の扉を足で蹴りやぶり、自分の椅子を壁に投げつけ壊すまでにエスカレートしました。

 

 

そしてとうとう父親にまで手を出してしまいました。

父親に怪我を負わせてしまったのです。

 

 

今、僕は家族と離れて1年近くたちます。

離れて、落ち着いて過去のことを振り返ることができるまでになりました。

今なら父親のことを受け入れられます。

 

 

ぼくは何を怒ったのか。

ぼくがひきこもった理由を、父が理解しようとしなかったことです。

 

今ならわかります。

父にはそれができなかったのです。

できない人に怒りをぶつけるのは間違っていますよね。

 

 

母親も理解できなかった。

 

 

青木さんに聞いたところ、30年間の支援生活の中で出会った親御さんで、理解できた親御さんはほんのわずかだということです。

 

 

「サポートセンターは、ご両親への支援はしていません。」ということです。

それは両親と子どもとは同時に支援できないからだそうです。

 

 

なるほどとぼくは思いましたね。

 

 

以前、サポートセンターの仲間の誰かが書いた文章で、フランス人の親子とのことがかいてあったけど、それは僕の理想でもあるな。

 

 

もっと言えば、親と子どもの理想の形ですよ。

 

 

でも、日本人にはそれはとても苦手なことなんだろうな。

なんか寂しいことだけれど。

 

 

でも僕は子どもとの関係をよくしたいと思っていますよ。

父親とうまくいかなかった経験を元にして、子どもともっとよりよく接したいのです。

 

 

とりとめのない文章になってしまいました。

 明日も書きますのでよろしくお願いします。

 

 

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18年間のひきこもりから再び社会へ ジュン。

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僕は35歳の男です。

名前は出しませんし写真もお断りしました。

 

 

高校2年で学校に行けなくなりました。

理由は怖かったからです。

 

 

勉強は大丈夫でしたが、他の同級生とうまくいかなかったからです。

 

高校1年の夏近くになるとクラスの中でカップルが何組も誕生します。

それは僕には無縁なことでした。

 

 

夏が過ぎて再び登校したら、もっとたくさんのカップルができていました。

放課の時間はあちらこちらで仲良くやっていました。

 

 

僕はというとそういうことに疎いのです。

そうしたいという気持ちがなければなんのことはないのですが、ぼくはとても羨ましかったので、無視はできなかったです。

 

 

それどころか、クラスの中のカップルのことが気になって勉強もできなくなってしまいました。

そんな気持ちを誰にも打ち明けられなくて、1人で悶々としていました。

 

 

秋の体育祭は最悪でした。

1年から3年まで縦割りでグループを作るのです。

2年、3年の女生徒はすでに少女から「女」に変わっていました。

 

 

その存在がとても眩しくて、その人たちと一緒にいるだけで体が震えてきました。

 

 

僕が通っていた高校は進学校で外からはとてもまじめな生徒という印象が強かったです。

勉強を一生懸命にやっていたら、恋愛なんかできないと僕は思っていました。

 

 

ところが勉強ができて清楚なイメージの女生徒が校舎の裏で先輩と抱き合っている姿を目撃して、僕は強い衝撃を受けました。

 

 

勉強なら負けないと思っていましたが、恋愛に関しては何もできないのです。

 

 

その差は圧倒的に大きく、いや、どのくらいその人たちから離されているのかさえわからないくらいでした。

 

 

自分は勉強だけしかできません。

異性とそのような交流をすることなど考えられませんでした。

 

 

だからそのショックはとても大きくて、頭の中が混乱してしまいました。

 

 

自分だけが蚊帳の外に置かれている。

勝負あった。

試合終了。

 

1年の3学期から時々休むようになってしまいます。

成績も下がって行き、母親が学校に呼び出されますが、僕は沈黙したままです。

 

 

こんなこと担任にも、ましてや母親なんかに言えるわけがありません。

 

 

2年のゴールデンウィーク明けから怖くて高校に行けなくなりました。

電車に乗れなくなったのです。

 

 

本当は僕もみんなのように普通になりたかったのです。

そのように変われる方法を誰かが教えてくれたなら、僕はもう一度あの場所に戻り、戦ってみたかったですね。

 

 

それから18年間のひきこもりです。

部屋に閉じこもり、夜に母親が用意したご飯をテレビやラジオを聴きながら1人で食べていました。

 

 

まさか18年間も部屋に閉じこもるとは思いませんでした。

出たくなかったかというと、出たかったです。

部屋に閉じこもっていても、何もいいことなんかありませんよ。

 

昔の失敗したことばかりが浮んでは消えていく。

その繰り返しです。

 

 

イライラが増えて行き、夜中に大きな声を出すこともありました。

 

 

「いい加減にしろ。ご近所様の迷惑になるだろうが。」と父が一喝するのです。

何もわかっていない父。

 

 

怒りは父親に向かうようになりました。

 

 

続いて書かさせていただきます。

あの、コメントはお控えください。

批判されるのは嫌なので。

 

 

 

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東大卒、30年ひきこもりでも大丈夫。人生は素晴らしい 東大

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検定試験に受かりました。まさか受かるとは思ってはいませんでした。

 

 

ヒロさんからブログに空白をあけない様にとご指導をいただいておりますので、少しでも書いてみますね。

 

 

今年はこの支援を受けてきた5年間の総仕上げの様な年になると思います。

 

 

遅くとも2月までにはフィリピンに移ります。

そこから私の新しい人生が始まります。

 

 

 

私は現在57歳。

残された時間はあとわずかです。

1日、1日を悔いなく精一杯生きて生きたいのです。

 

 

私もまた他の人たちと同様に「人生を楽しむこと」を知りました。

それがこの5年間で学んだもっとも素晴らしいことだと思っています。

 

 

人生は素晴らしい。

私の好きな曲たちです。

 


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青木さんはJulie London バージョンが好きです。

www.youtube.com

 

この世に生まれてきたことを心から喜んでいます。

 

 

ご声援をありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

 

 

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20年間のひきこもりに終止符を Mr.Joe

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  私は自由だ。でも自由には自己責任とコントロールが必要だ。

 

 

東大さんはとても忙しくて文章を書けないそうなので私が書くこととなりました、Mr.Joeです。

 

 

私は12月31日がとても嫌でした。

世界中の多くの人が新しい年を迎えることに興奮と歓喜の輪の中にいるのに、私だけ取り残されている感じがしたからです。

 

 

私は他の人たちの様に喜べないのです。

世界中が喜んでいることをむしろ冷めた目で見ていました。

 

 

昨年は日本人のスタッフさんに新年カウントダウンパーティに誘っていただきました。

私1人なら絶対に行きません。

意味がよくわからないからです。

 

 

サポートセンターでお世話になって、「人生を楽しむ。」ということを教えていただきました。

「人生は楽しいんです。」

人といることは苦痛ではなく、喜びなんです。

 

 

ですから、そのカウントダウンパーティは少し楽しみにしていた私です。

 

 

少しおしゃれしていこうとスタッフに言われて、髪の毛を切って染めもしました。

 

 

デパートで若い女性スタッフに着せ替え人形のようにさせられて選んだ服。

それを着た私は、我ながら中々の男前でした。

 

 

じーっと鏡の中の自分の姿を見つめる私です。

私はこんな顔をしているのか。

こんな体型なのか。

 

 

思わず鏡の中の私に微笑みかけたんです。

「Hello友達、元気でやっているかい。」って。

周りに聞こえないくらい小さな声でね。

 

 

私が微笑んだら鏡の中の私も笑っていました。

とても素敵な笑顔でした。

「いいよ。いいよ。その笑顔。」

 

涙が出てしまいました。

そうしたら、鏡の中の私も泣いています。

「泣かなくてもいいんだよ。もう泣かなくていいんだからね。」

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 2016年6月14日フィリピン到着後、感極まってしまいました。 

 

 

昨日の俊介兄いさんの記事を読んで驚きました。

私も同じことを青木さんに言われてやらされていました。

でもそれは回復へのプログラムだったんですね。

 

 

「どうして、始める前にこのプログラムの意図することはとか話してくれなかったのですか」とスタッフに聞きました。

 

 

「他者を支援することと、それが自分の成長に繋がることは、終わってみて初めて気づくことなんですよ。」と言われました。

 

 

なるほどそれも俊介兄いさんと同じだったわけか。

つまり、「同時に2つのことを考えながら行動することは私たちの様な人には難しい。」ということなんですね

 

 

私は俊介兄いさんと会ったことも話したこともないのです。

以前のブログを読んでいた程度でした。

だからこんなに色々な葛藤があったのかと驚いてしまいました。

 

 

初めて国際救助隊が私の家に訪問してくれてから、今月でまる2年が過ぎました。

 

 

そして来年の4月から私は1人で自立への道を歩みます。

20年のひきこもり生活から完全におさらばするのです。

 

ヒロさんの言葉をお借りします。

 

「感無量とはこのことです。」

 

 

 

私はまだしばらくブログを書き続けたいです。

私の頭の中を整理したいのです。

申し訳ないですが、しばらくお付き合いください。

 

 

 

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長文お許しください。今の私です。俊介。

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   写真はこの角度でお許しください。恥ずかしいです。

 

 

俊介です。

初めて私のことを知る人の為に。

 

私は年齢が30代です。

ひきこもり歴が10年ちかくです。

支援を受け始めたのが2013年からですから、サポートセンターには5年間お世話になったということです。

 

 

私はこの5年間、色々なことにチャレンジしてきました。

 

 

料理が好きなので料理学校に行かせてもらいました。

終了後は、サポートセンターの小さな料理店で働いていましたが、うまくいきませんでした。

 

 

自分で料理をすることと、仕事として料理を作ることは違ったのです。

 

 

その後も英会話学校にいきましたが、他の人と違って前向きではなかったです。

 

 

私の1番の特徴は、あまり人と関わりたくないことです。

1人でいることが好きでした。

でも決して他人を否定しているわけではないのです。

 

 

世の中には他者と関わりたいのに関われない人がいます。

それは関わり方がわからないことが大きな原因です。

 

 

私の場合は、サポートセンターで人と関わる練習をしていただきましたが、あまりうまくいきませんでした。

段々とスタッフさんたちが私の特徴に気づいてくださいました。

 

 

それからが、私への本格的な支援の始まりだったと思います。

 

 

他の人たちがフィリピンでの生活に慣れていき、どんどん成長していくのを目の当たりにして、正直私は落ち込んでいました。

 

 

特にヒロさんと一緒に住んでいた時期もあり、彼のことをよく知っています。

とにかくめちゃくちゃな人でした。

 

 

いつもいつも何かしらの問題を起こしていました。

この人が大学を卒業するのは無理だろうと思っていました。

 

 

そんな彼が少しずつ落ち着いていき、大学内でも友達ができ、とても綺麗な彼女までできたのですから驚きです。

 

 

そのことを知り、私はより落ちこみました。

あんなひどい状態の人がここまで変わったのに、私は何も変わっていないからです。

 

 

失意の中、日本に帰りました。

日本で私の気持ちは落ち込んだままでした。

一軍で打ちこまれて、自信を失ったベテラン投手のように、再びお呼びがかかることはあるまいと思っていました。

 

 

しかし、青木さんから、ひきこもっている人への訪問をやって欲しいと言われて、やり始めました。

 

「言われたことをその通りにやりなさい、」と言われて、ただひたすら頑張ってやりました。

 

話し方の練習や優しい表情の出し方など今までになく頑張りました。

 

今年の10月に長年ひきこもっていた人が、私たちの支援を受けたいと自ら言い、自室から外に出たのです。

段々前向きになっていき、今はフィリピンで再起を目指して頑張っています。

 

 

彼とは1年間、彼の住む部屋の扉越しの会話でした。

いいえ、会話ではなく、私からの一方的な話しかけでした。

 

 

青木さんが、「最愛の彼女に心からの思いを打ち明ける様に彼に語りなさい。」と言われていました。

 

「そんなことできるわけがない、青木さんは全く変なことをいう人だ。」

正直私は青木さんが苦手です。

なんか変だからです。

 

しかし、訪問が半年たったある時。

私はドア越しに語っている時に涙声になってしまいました。

 

 

その時感じたのです。

ドアの向こう側にいるのは、10年間ひきこもり、死ぬことしか考えていなかった私だと。

 

 

そのことがきっかけとなったのか、私は心から彼のことを思えるまでになりました。

彼の好きな漫画を読んだり、音楽を聞いてそのことを次回の訪問時の話題にしたりしました。

 

訪問一年後、ひきこもりを終えた彼と会った時に、彼が言ってくれました。

「俊介さんが訪問で話してくれたことは今でも全て覚えています。」

 

 

そう聞いて感じたのです。

自分をがんじがらめに縛り上げていた鎖。

その鎖が解けた。

そんな気持ちを感じたのです。

 

私は青木さんに直接時間をとって会ってもらいました。

その場でこれからも訪問をさせて欲しいとお願いしました。

 

青木さんは言いました。

「こちらから、俊介さんに訪問をしてもらえないかとお願いしたい。」

 

 

今年の大晦日、支援をしている青年の部屋で彼と一緒に年を越して初詣にも行きます。

とても寂しさを覚えている彼にとことん付き合う覚悟です。

 

 

なんとか私の支援も終了みたいです。

 

応援していただいたみなさま、5年間本当にありがとうございました。

 

 

これからもあまりこのブログには登場はしないでしょうが、よろしくお願いします。

 

サポートセンターには、回復を目指して頑張っている仲間がまだたくさんいます。

どうか彼らのことをよろしくお願いします。

 

 

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