写真はこの角度でお許しください。恥ずかしいです。
俊介です。
初めて私のことを知る人の為に。
私は年齢が30代です。
ひきこもり歴が10年ちかくです。
支援を受け始めたのが2013年からですから、サポートセンターには5年間お世話になったということです。
私はこの5年間、色々なことにチャレンジしてきました。
料理が好きなので料理学校に行かせてもらいました。
終了後は、サポートセンターの小さな料理店で働いていましたが、うまくいきませんでした。
自分で料理をすることと、仕事として料理を作ることは違ったのです。
その後も英会話学校にいきましたが、他の人と違って前向きではなかったです。
私の1番の特徴は、あまり人と関わりたくないことです。
1人でいることが好きでした。
でも決して他人を否定しているわけではないのです。
世の中には他者と関わりたいのに関われない人がいます。
それは関わり方がわからないことが大きな原因です。
私の場合は、サポートセンターで人と関わる練習をしていただきましたが、あまりうまくいきませんでした。
段々とスタッフさんたちが私の特徴に気づいてくださいました。
それからが、私への本格的な支援の始まりだったと思います。
他の人たちがフィリピンでの生活に慣れていき、どんどん成長していくのを目の当たりにして、正直私は落ち込んでいました。
特にヒロさんと一緒に住んでいた時期もあり、彼のことをよく知っています。
とにかくめちゃくちゃな人でした。
いつもいつも何かしらの問題を起こしていました。
この人が大学を卒業するのは無理だろうと思っていました。
そんな彼が少しずつ落ち着いていき、大学内でも友達ができ、とても綺麗な彼女までできたのですから驚きです。
そのことを知り、私はより落ちこみました。
あんなひどい状態の人がここまで変わったのに、私は何も変わっていないからです。
失意の中、日本に帰りました。
日本で私の気持ちは落ち込んだままでした。
一軍で打ちこまれて、自信を失ったベテラン投手のように、再びお呼びがかかることはあるまいと思っていました。
しかし、青木さんから、ひきこもっている人への訪問をやって欲しいと言われて、やり始めました。
「言われたことをその通りにやりなさい、」と言われて、ただひたすら頑張ってやりました。
話し方の練習や優しい表情の出し方など今までになく頑張りました。
今年の10月に長年ひきこもっていた人が、私たちの支援を受けたいと自ら言い、自室から外に出たのです。
段々前向きになっていき、今はフィリピンで再起を目指して頑張っています。
彼とは1年間、彼の住む部屋の扉越しの会話でした。
いいえ、会話ではなく、私からの一方的な話しかけでした。
青木さんが、「最愛の彼女に心からの思いを打ち明ける様に彼に語りなさい。」と言われていました。
「そんなことできるわけがない、青木さんは全く変なことをいう人だ。」
正直私は青木さんが苦手です。
なんか変だからです。
しかし、訪問が半年たったある時。
私はドア越しに語っている時に涙声になってしまいました。
その時感じたのです。
ドアの向こう側にいるのは、10年間ひきこもり、死ぬことしか考えていなかった私だと。
そのことがきっかけとなったのか、私は心から彼のことを思えるまでになりました。
彼の好きな漫画を読んだり、音楽を聞いてそのことを次回の訪問時の話題にしたりしました。
訪問一年後、ひきこもりを終えた彼と会った時に、彼が言ってくれました。
「俊介さんが訪問で話してくれたことは今でも全て覚えています。」
そう聞いて感じたのです。
自分をがんじがらめに縛り上げていた鎖。
その鎖が解けた。
そんな気持ちを感じたのです。
私は青木さんに直接時間をとって会ってもらいました。
その場でこれからも訪問をさせて欲しいとお願いしました。
青木さんは言いました。
「こちらから、俊介さんに訪問をしてもらえないかとお願いしたい。」
今年の大晦日、支援をしている青年の部屋で彼と一緒に年を越して初詣にも行きます。
とても寂しさを覚えている彼にとことん付き合う覚悟です。
なんとか私の支援も終了みたいです。
応援していただいたみなさま、5年間本当にありがとうございました。
これからもあまりこのブログには登場はしないでしょうが、よろしくお願いします。
サポートセンターには、回復を目指して頑張っている仲間がまだたくさんいます。
どうか彼らのことをよろしくお願いします。
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