<子どもの生きづらさを取り除くこと>
もう1つ言いたいことがありました。
僕は生まれてきてはいけない人間だと思っていました。
それは、僕だけがみんなと違っているからです。
勉強ができない。
勉強ができないというより、先生が言っていることが理解できなかった。
特に集団行動の時に先生や構内放送の指示が理解できなくて、みんなの動作についていけなかった。
僕はどうすればいいのかわからなくて、怖くて仕方がなかった。
勉強も全然わからなかったし、学校にいても何もかもが怖くて仕方がなかった。
みんなが当たり前にできることが僕にはできない。
ぼくもみんなと一緒のことをしたかったけど、できなかった。
そして、そんなぼくに誰も気づいてくれなかった。
ただ、ぼくが失敗したら、周りのみんなは笑ったり、バカにしたりした。
先生は「どうしてこんなこともできないんだ。みんなはできるのに。」と言いたげな顔をしていると感じた。
だから怖かった。
学校が怖かった。周りのみんなが怖かった。
そしてみんなは僕をバカにして排除するようになった。
僕がみんなと違うから、みんなは僕を受け入れることを拒んだ。
変な奴、気持ち悪い奴。
そんな奴は俺たちの仲間じゃないとでも言いたそうだった。
学校に僕の居場所はなくなった。
子どもにとっては、学校が全てなのです。
その学校に居場所がないということは、この世の中に居場所がないということと同じです。
「学校が全てじゃないから。」と無責任な大人たちがわかったように発言しています。
いやいや、違うんだって。
「学校が全てなんだ。」
その学校に行けなくなったら、もう死ぬしかないんだ。
僕はそう思っていた。
そう思っていた人は他にもいたはずだ。
学校を批判するのは見当違いだ。
小学校に行けなくなって、中学校でもうまくいかない。
中学校に行けなくなって、高校でもうまくいかない。
高校に行けなくなって、大学でもうまくいかない。
大学に行けなくなって、社会でうまくいかない。
学校にも問題はあるでしょう。
でも学校に行かなくなったら、その子どもはうまくやっていけているの?
違うでしょう。
学校に行かなくなっただけで、その子どもの生きづらさはかわらないんだよ。
そして、学校にも行かず、働きもせず、周りとうまくやっていくこともできない。
そして、孤立して引きこもる。
問題は学校や社会のシステムにあるのだろうか?
僕が小学校から逃げ出したのもきっとそう感じたからだ。
でも、僕の生きづらさは何も変わらなかった。
時間が経つにつれて、僕の状況はますます悪くなっていっただけ。
サポートセンターと出会って、客観的に僕という人間を見つめ直すことができた。
そして、僕は理解した。
僕が変わらない限り、一生このままだ。
問題は学校や社会のシステムではなく、僕自身にあることがわかったんだ。
そして、僕は変わる努力をし始めた。
スタッフたちの手を借りて。
時間はかかったけど。
僕は今、幸せなんだ。
学校が諸悪の根源だと思い続けていたら、僕は何も変わらなかっただろう。
本日はそのことが言いたかったのです。
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