発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

子どもの生きづらさを取り除くことが大切。ブン

 

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<子どもの生きづらさを取り除くこと>

 

もう1つ言いたいことがありました。

 

 

僕は生まれてきてはいけない人間だと思っていました。

それは、僕だけがみんなと違っているからです。

 

 

勉強ができない。

勉強ができないというより、先生が言っていることが理解できなかった。

特に集団行動の時に先生や構内放送の指示が理解できなくて、みんなの動作についていけなかった。

 

 

 

僕はどうすればいいのかわからなくて、怖くて仕方がなかった。

 

 

勉強も全然わからなかったし、学校にいても何もかもが怖くて仕方がなかった。

 

 

みんなが当たり前にできることが僕にはできない。

ぼくもみんなと一緒のことをしたかったけど、できなかった。

そして、そんなぼくに誰も気づいてくれなかった。

 

 

ただ、ぼくが失敗したら、周りのみんなは笑ったり、バカにしたりした。

 

 

先生は「どうしてこんなこともできないんだ。みんなはできるのに。」と言いたげな顔をしていると感じた。

 

 

だから怖かった。

学校が怖かった。周りのみんなが怖かった。

 

 

そしてみんなは僕をバカにして排除するようになった。

僕がみんなと違うから、みんなは僕を受け入れることを拒んだ。

 

 

変な奴、気持ち悪い奴。

そんな奴は俺たちの仲間じゃないとでも言いたそうだった。

 

 

学校に僕の居場所はなくなった。

 

 

 

子どもにとっては、学校が全てなのです。

その学校に居場所がないということは、この世の中に居場所がないということと同じです。

 

 

 

「学校が全てじゃないから。」と無責任な大人たちがわかったように発言しています。

 

 

 

いやいや、違うんだって。

「学校が全てなんだ。」

その学校に行けなくなったら、もう死ぬしかないんだ。

僕はそう思っていた。

そう思っていた人は他にもいたはずだ。

 

 

学校を批判するのは見当違いだ。

小学校に行けなくなって、中学校でもうまくいかない。

中学校に行けなくなって、高校でもうまくいかない。

高校に行けなくなって、大学でもうまくいかない。

大学に行けなくなって、社会でうまくいかない。

 

学校にも問題はあるでしょう。

でも学校に行かなくなったら、その子どもはうまくやっていけているの?

 

 

 

違うでしょう。

学校に行かなくなっただけで、その子どもの生きづらさはかわらないんだよ。

 

 

そして、学校にも行かず、働きもせず、周りとうまくやっていくこともできない。

そして、孤立して引きこもる。

 

 

問題は学校や社会のシステムにあるのだろうか?

僕が小学校から逃げ出したのもきっとそう感じたからだ。

 

 

 

でも、僕の生きづらさは何も変わらなかった。

時間が経つにつれて、僕の状況はますます悪くなっていっただけ。

 

 

サポートセンターと出会って、客観的に僕という人間を見つめ直すことができた。

 

 

そして、僕は理解した。

僕が変わらない限り、一生このままだ。

 

 

問題は学校や社会のシステムではなく、僕自身にあることがわかったんだ。

 

 

そして、僕は変わる努力をし始めた。

スタッフたちの手を借りて。

時間はかかったけど。

 

 

僕は今、幸せなんだ。

 

学校が諸悪の根源だと思い続けていたら、僕は何も変わらなかっただろう。

 

 

本日はそのことが言いたかったのです。

 

 

 

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