発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

他人が怖いからひきこもった。エイジ

他人が怖い。赤ちゃんとか老人なら大丈夫。外人もOK

 

彼はとても優しい人です。

真面目な人です。

背が高くて見た目も良くて女性にもてる人です。

1人でできる仕事なら黙々と仕事をこなせる人です。

と青木さんが言っていました。

 

 

本当かどうかは、私は会ったことがないのでわかりません。

 

 

 

日本では10年近く家から出られずに部屋の中で過ごしていた人です。

10年も過ごしていたなんてと私は思いましたが、私は30年間も過ごしていたんですよね。

今ではすっかり過去のことを思い出せなくなっています。

 

 

なんで自分の部屋にひきこもっていたかというと、私の場合は周りの人が怖かったからです。

周りの人とちゃんと話す自信がないのです。

私で言いますと、話している最中に「こいつなんか変だぞ。」と相手に思われる。

 

 

そうしますと揶揄われたりするのではないかと怖いのです。

相手はきっと私を傷つけるだろうと想像するのです。

彼もきっとそうだと思います。

 

 

だから人馴れすることが大切なんです。

どうしたら人馴れするのか?

他人とうまく話せたら良いのです。

他人とうまく話せる練習が必要です。

 

 

日本にいた頃、団体の支援スタッフと話す練習をしていました。

とてもとても時間がかかりましたが、少しずつ他人と話ができるようになっていきました。

 

 

その次は、違う人たちと話す練習が必要なのです。

それで私は単発のアルバイトをさせられました。

単発のアルバイトでは、アルバイト先の人と話をする必要があります。

とても緊張しました。

でもそれも少しずつできていきました。

 

 

 

ちょっと言わなければならないことがあります。

単発のアルバイトで、他者とのコミニュケーションができたと思っていました。

しかし、後で分かったのですが、単発のアルバイト先の人たちもこの団体を支援している人たちでしたので、相手の方がうまく話を合わせてくれたのです。

 

 

そして次に日本の社会で、発達障害のことを理解することを期待できない人たちとのコミニュケーションです。

しかし、これは私には無理でした。

とても緊張してしまって、毎回チックの症状が強く出てしまうのです。

 

 

それで青木さんは、日本での支援を諦めて私を海外へ連れて行ってくれました。

 

 

結果からいうと私は海外で自信をつけることができました。

 

なぜ日本ではダメで、海外でうまくいったのか?

そこにははっきりとした理由があります。

それを考えた青木さんはすごい人だと思います。

 

 

30年間、誰とも会わないで暮らしていた私や東大さんが、幸せと感じているのですから、すごいことなんです。

 

明日はそのことを話します。

 

 

彼のプログラムのことを書かないといけなかったけれど、すみませんでした。

 

 

また明日書きます。

 

 

 

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