発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

練習で人と会話ができるようになった。30年間もひきこもってしまったASDな男A

f:id:smilehousejapan:20210824151312j:plain

右はスタッフの丸山さんです。20年近く働いていますが現在脳梗塞で入院中です。心配です

 

 

30年間ひきこもった私にとって、社会復帰するに当たってのもっとも大きな問題は、他者とのコミニュケーションをどうするかでした。

30年間、誰とも話をしていないのです。

 

 

家族と同居はしていました。

しかし、家族もまたひきこもりのようなものでした。

家庭内での会話は「ご飯できた。」「風呂」

それに対しての私の返事は「おお」の言葉だけです。

 

 

家族が悪いわけじゃないです。

そんな家庭はうちだけではなく、他にもあると青木さんは言っていました。

 

 

ですから、30年間他者との会話は何もしてこなかったのと同じです。

 

 

で、もともと他者とのコミニュケーションがうまく取れなかった私なんです。

小、中、高、大と友達なんて誰もいませんでした。

 

 

アルバイトにも挑戦しましたが、数日で怖くなって行けなくなりました。

失敗ばかりして、店長さんや、他のアルバイト、そしてお客さんからも怒られてばかりでしたから。

 

 

で、ひきこもったわけです。

ひきこもり始めた時には、まさか30年間もひきこもるとは思っていませんでしたね。

 

 

そんな私ですから、支援は大変だったと思います。

まあ、それで支援開始からスタッフたちの提案を素直に聞いていれば良かったんですが、聞きたくなかった。

 

 

やっぱり「どうせまた怒られるんだろ。こんなこともできないのかって。」

そう思ってしまっていたから、頑なに防御していましたね。

 

 

まあそれも、徹底的に私に寄り添うという姿勢で接してくれていたスタッフの皆さんでしたから、私も素直になったんです。

時間はかかりましたけれどね。

 

 

前置きが長くなってしまった。

 

 

で、どうやってコミニュケーションが他者と取れるようになったのか?

簡単にいうと、練習と実践です。

この繰り返しです。

 

 

それを1年と10ヶ月、日曜日を除いて毎日4時間やっていました。

我ながら50年の人生の中でこんなにも長続きしたのが初めてでした。

 

 

それも、私にあったスタッフを調整してくれたんです。

ですから、のべ15人の女性スタッフ(2人男性スタッフがいました。)と話し合いながら、相性をチェックしてくれたんです。

 

 

私にとっては、そのことが1番の驚きと支援にとって最も大きな効果だったと思っています。

次回はもっと具体的に何をしていたのかをお話しします。

 

 

※日本ブログ村に参加しています。

 この記事が良かったと思われましたら
 下記の画像をクリックしてください。

 

 ご協力をお願いします。

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

 

 私たちの活動を応援してください。

100万人というひきこもっている人たちに希望を届けたいのです。

YouTubeを見ていただきましたら、

 

 

1、チャンネル登録をお願いします。

2、高評価ボタンがありますので、ここをクリックしてください。

↓ 動画の画面下ぐらいにこの高評価マークがあります。

f:id:smilehousejapan:20210129121446j:plain


 

3、感想、コメント、質問などをください。

スタッフ全員気が弱いですので、お叱りは違うメールアドレスにお送りください。

 

 

真ん中の白色の三角形をクックしてください。

自動で動画が始まります。