発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

それでも僕は生きていたい。東大卒30年ひきこもったASDな僕

行くぜ!!

 

ネガティブなことばかり書いていて、読者の方に嫌な思いをさせているのではと心配しています。

他の人たちから見たら、大変な状況の人なのだと思われても仕方がありません。

これが今の僕なのですから。

 

 

動作が変。

コミニュケーションが取りづらい。

しかも相手に気を使うことも難しい。

 

 

これでは日本の社会では生きていくことができません。

座して死を待つのみでしょうね。

 

 

そんな僕は日本を出ました。

日本が悪いわけではないのです。

僕が日本という素晴らしい国に合わなかっただけです。

 

 

僕の様な人間に取って、フイリピンが生きやすい国だとしても、日本の素晴らしさにはかないません。

食事、清潔感、医療、教育・・・。

どの分野をとっても日本が優れているのです。

 

 

このフィリピンに夢を求めて来る日本人の多くが、それらに直面して、夢やぶれて日本に帰っていく現実があります。

 

 

しかし、僕には選択の余地がないのです。

このフイリピンでしか生きていくことができないのです。

この場所なら、僕のおかしさも薄まることに気づいたのです。

 

 

日本では暗黙の了解で同じことを求められます。

それができない僕の様な人にとっては、日本での生活はとても強いストレスを感じる日々なのです。

 

 

確かに7年近く毎日の様にソーシャルスキルやマナーを練習してきました。

そして、少なからずですが、支援の効果もありました。

少なからずというのは、支援スタッフたちからの見方です。

 

 

僕に取っては大変有意義な7年間でした。

僕は変わったのですから。

変わった?どこが?

 

 

僕は生きていくことに自信をなくして30年近くひきこもりました。

この団体と出会わなければ、40年になっていたでしょう。

座して死を待つのみでした。

 

 

しかし、今は心の底から生きていたいと思える自分がいるのです。

残された時間は多くはありません。

でも、毎日楽しく生かされている喜びを噛み締めたいと思っています。

 

 

それは7年前の僕には、想像すらできなかったことです。

僕は変わったのです。

変えてもらったのです。

 

 

そして今も、変わる努力をしています。

今年中に婚活が終われば良いなと考えています。

車の運転の練習をし始めました。

小さな農園の準備も始めました。

 

 

できないことがたくさんある僕ですが、できることもあるのです。

できないことは受け止めて、できることに集中して残りの人生を生きていきます。

 

 

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