僕はフィリピンが好きだ。
日本よりもフィリピンで生活がしたい。
だから、ここで配偶者を探して生きて行く。
30年ひきこもった50代のAさんもそう思っている。
現在、日本でフィリピンへの渡航再開を待ち望んでいる。
こちらに来たら、仕事の練習と学校への通学、そして婚活ととても忙しくなるAさんです。
僕は親が残してくれたもので、日本で生きていくことはできる。
親に感謝です。
しかし、日本に帰っても自分でできることはないのです。
またひきこもりを継続させるだけの日々になってしまうでしょう。
僕は東大を出た後、大学院に進んだ。
就職先も一流企業と確約されていた。
しかし、現実は30年もの間、自宅にひきこもっていた。
支援を受けて、ひきこもりから社会に戻ることができた。
できないと思い込んでいたことも、工夫をすることで生活の質を高めることができた。
しかし、それでも生きづらさはまだある。
その生きづらさを抱えたまま、日本で生きていくことは難しいと感じている。
だから、フィリピンで生きていくことにしたのです。
もちろん支援している青年の多くは、ご承知の様に日本に帰国している。
そして、新しい生活を日本で踏み出している。
ここフィリピンで生きていくことを決意した青年たちは、数名でしかない。
その多くは私の様に特性が強くて、日本で生きるより〈違いに寛容な外国〉で生きることを選択したのです。
確かに日本で感じる様な強い閉塞感はこの国では感じない。
医療、住居、インフラと多くの点で日本がより快適であることは間違いない。
しかし、それでも僕はこのフィリピンに大きな魅力を感じている。
僕にはそれだけで十分なのです。
フイリピン人の知り合いに、金子みすゞの〈私と小鳥と鈴と〉を伝えた。
興味深く聞いてくれたが、「わざわざこの文を取り上げなければならないほど、日本は違いということに寛容ではないんだな。」と切り返された。
図星だ。
物心ついた時から違いが周りにあったと彼は言った。
違いは当たり前なんだと彼は語気を強めて言った。
「日本人を尊敬している。
だからこそ、日本人がもっと周りにある違いに目を止めて欲しい。
それは、誰かのためではなく、自分たちがより快適に過ごすためのことにつながるのだから。」
彼の様な発言をする人は彼だけではない。
だから僕はこの国が好きなのだ。
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