発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校・ひきこもり原因NO1とは?詠み人知らず

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ひきこもらせてしまうと長引きますよ。時間の無駄です。

 

 

 

この団体で支援をしていた人たちのことです。

不登校・ひきこもりになった原因とは?

 

 

「同級生たちとうまく関われない。」がほとんど全てです。

同級生とうまく関われないけれど、学校以外の人とは交流できます。

ということはないですね。

 

 

 

私がそうでした。

勉強は平均でした。

ヒロさんや青木さんの様にいじめられることもなかったです。

 

 

青木さんの様に集団行動がとても苦手だったということも特別ないです。

 

 

でも学校に行くことは、とてもきつかったです。

だからといって、学校に行かなくても良いとなると何をして過ごせば良いのかわからなくて、パニックになっていたでしょうね。

 

 

 

なんとか高校まではやり過ごせましたよ。

今考えれば、担任の指示通りやっていればそれでことなきを得ていましたから。

 

 

それが大学になると、指示してくれる人が突然いなくなってしまい、1人で全てをこなさないといけなくなるわけです。

 

 

自分ではできないですね。

それだけの気力ももう残っていなかったし、大学は高校と違って、みんなが自由で、あちらこちらで楽しそうにしている光景が、大学内に溢れていましたから。

 

 

高校から大学に変わって、いかに自分が他の人と交流が持てないかがよーくわかりました。

そして、それは不安から恐怖へと変わっていったのです。

 

 

 

1人だけで過ごしているのは自分だけなんだ。

自分は欠陥人間だから、みんなと交流できないのだ。

小学校からそうだった。

 

 

 

変わりたいという気持ちはあるけれど、無理だろうな。

もう手遅れだ。

この先、アルバイトなんかも絶対に無理だ。

 

 

ましてや就職なんか、みんなから袋だたきにあうに違いない。

そして僕が取れた選択は〈死ぬ〉か〈家から出ない〉かの2つでした。

ここまでは、支援を受けていた人たちのほとんどが同じでした。

 

 

 

そして、ある朝起きて、大学に行くために家を出ました。

最寄りの駅で降りて、大学の正門まで続く坂道を登っていたら、突然顔がひきつりました。

 

 

 

心臓を鷲掴みにされた気がして、その場にしゃがみこんだのです。

そして元来た道を一目散に駆け足で戻って行きました。

 

 

 

人が怖いのです。

怖くて家から出られなかった。

 

 

 

 

母親が、「怠けるな。」となんどもなんども怒鳴りましたが、僕は怖くて外に出られませんでした。

 

 

 

ひきこもりは10年間近くになりました。

10年なんてあっという間です。

この団体で支援を受けなければ、今でもひきこもっていたと思います。

 

 

 

今、僕は幸せです。

職場で必要とされているのですから。

母親に、給与から少しですが、お金を渡すことができていますので。

 

 

 

次回で本当に最後とします。

 

 

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