発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

10年間のひきこもりから回復して仕事につけたわけ。 ○○

 

       ボランティアは参加した方がいいですよ。

 

 

私の出番も今回で最後とします。

色々と励ましや応援をしていただいた皆様に感謝の気持ちを伝えたくて、何かお役に立てることを書こうと思いました。

 

 

 

本人は動けないので親が支援を探すしかない

 

 

何年待っても本人は動けないです。

待てば待つほど社会に戻ることは困難になっていくだけです。

同世代と離されていくだけですから。

 

 

 

ですから、親が支援を探すしかないのです。

まずはこれがスタートです。

 

 

 

私の親は色々な講演会を聞いたり、医者に相談に行ったりしました。

最後には保健所さんが発行している支援者団体一覧表で青木さんの団体と出会いました。

 

 

 

その当時、私は母親との関係がうまくいっていませんでした。

家庭内の様々な事情から母親を否定していましたから。

 

 

 

しかし、青木さんの団体を見つけて来て、信じて支援を依頼したことに関しては、とても感謝しています。

しかし、ここで母親は考えました。

母からの話では頭越しに否定してしまうと。

 

 

 

 

それで親戚の人と一緒に青木さんともう一度話し合いました。

親戚がここなら信用できると思ってくれたので、親戚のものが私に支援の話を持ちかけてきたのです。

 

 

 

しかし、私は親戚からのその話も断りました。

怖いのです。

人と関わることに強い不安を感じているのですから、そんな私に支援者が来るなんて当然、「怠けるな!!お前の根性を叩き直してやる。」という感じで来ると思っていましたから。

 

 

 

でも、やってきました。

玄関越しに「おじさんの紹介で訪問しました。無理矢理には家の中には入りませんので、安心してください。」

うまいですよ、青木さん。

 

 

 

玄関内に通して、話に耳を傾けてしまいました。

そしてトントン拍子にフィリピンにいくことになったのです。

どうしてそうなったかって?

 

 

 

母親が「私は青木さんの支援を勧めるよ。あの人自身が不登校でひきこもって回復したんだよ。でも決めるのはあなただからね。」

「今思い返してみても、自分で決めたことが良かったと思います。」と言いたいところですが、全てお膳立てしてもらったのです。

 

 

 

 

自分で決めることなんてできなかったですね。

ひきこもり支援の難しさはここにあると思います。

 

 

 

後、2回程度続けましょう。

まだ書きたいことがありますので。

 

 

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