マルさんと話しました。
「僕がひきこもった3つの理由」と書いた記事について一緒に話し合いました。
僕の困っていたことです。(小学校の時からずっと悩んでいたこと。)
1、同級生と関われなかった。
2、自分の顔がブサイクなのと太っていたので人前に出るのが怖かった。
3、楽しいことが何かわからなかった。
そしてもう一度考え直してみました。
以下が考え直した結果です。
1、人と関われないこと。(相手を嫌な思いにさせてしまうに違いないといつも思って尻込みしていた。自分の容姿が相手に嫌な思いをさせてしまうとも思っていた。)
2、自分のことが理解できていなかった。(自分が抱える問題点は何か。そしてそれはどうしたら解決できるのかがわからなかった。)
3、将来のことが見通せなかった。
以下、立派な意見はマルさんの言葉です。
分けて書くのが面倒なのでしませんでした。
この3つのポイントをサポートセンターのスタッフと僕が10年間一緒に考えて解決していった。
簡単に言ってしまえば、それが僕への10年間の支援の中身だったということ。
15才で支援が始まり、およそ10年間支援をしてもらっていた。
ヒロさんは15年間の支援だったと思います。
僕やヒロさんのように重い状況の人たちはそのくらい時間がかかるということなんでしょうね。
「支援というのは、診察室で先生と会話していく中で行なわれるものではない。」と僕は思う。
偉そうな言い方をしてごめんなさい。
日々家族のように接してもらいながらの10年間。
毎日欠かさず、その日にあった出来事をスタッフに報告する。
食事をしながら。
朝食を一緒に取る。
昼食を一緒に取る。
夕食を一緒に取る。
ありふれた日常の風景の中で支援は行われる。
それがこの団体の特徴です。
擬似家族になって支援をする。
それを勘違いして受け取った人がいました。
僕の母です。
あれほど、スタッフが母親に丁寧に説明して、「わかりました。」と納得したはずなのに・・・。
「私たち家族を否定するのですね。」そんなことを言って青木さんにくってかかった僕の母。
大変だったろうな。
そんなことをマルさんと話していたら、東大さんが会話に加わった。
「僕にもスタッフたちは家族のように接してくれたね。
特に、青木は80才を過ぎた僕の母親にこまめに連絡をして、励ましてくれていた。
本当の家族を否定するなんてそんなことは一切ないんだよ。」
「でも、自分の手から子どもを取られたと感じてしまうんだろうね。
自分の手では、もうどうすることもできないので、僕たちに託したにも関わらず。
仕方がないんだよ。この働きをしていく中で、その様に間違って取られてしまうのは。」
「ひきこもったり、不登校のお子さんを持つ親御さんたちもとても疲れているし、中には同じように生きづらさを感じている親御さんもいらっしゃるからね。」
「子どもが回復した後、親御さんから、次は私を支援してください。という依頼もあるんだよ。」
大変です。
僕がいうのも変ですが、人を回復させるっていうことは命をすり減らす支援なんですね。
僕ができることは、ブログを5回書く程度です。
ごめんなさい。
これから勉強で忙しくなるので、ブログはこれでおしまいにしたいです。
さようなら。
みなさんお元気で良いお年を。
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